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マイケル
「ビリー・ジーンは匿名みたいなもので、たくさんの女の子たちを表現してるんだ。自分たちのことをグルーピーなんて呼んでたような、60年代のね。バックステージのドアの所でたむろしてるような・・・町に来るどのバンドとも関係を持とうとするような。僕が小さかった頃の、兄たちの経験から、僕はこの曲を書いたんだ。たくさんのビリー・ジーンたちがいたから。どの女の子も主張するんだ、自分の息子は兄の誰かと関係があるんだ、って。」 クインシー・ジョーンズ 「『ビリー・ジーン』はマイケルが自分で書いたんだけど、まったくものすごい個人的な話なんだ。本人の言うところによると、ある女の子が塀を乗り越えて侵入してきて、うろうろと彼の後をついて回ってたり、ある朝目を覚ますと彼のシャツを着てプール・サイドに寝転がったりしてたんだそうだ。とにかくしつこくて、ほとんどストーカーだったらしい。挙句の果てに、彼女が産んだ双子の一人はマイケルの子だ、なんて言い出したんだってさ(笑)。 マイケルときたら、『ビリー・ジーン』にすごく長いイントロを付けてた。イントロ部分のメロディも長すぎる。もっと早く歌に入らなきゃダメだ、と言ったら、マイケルが「それがおいしいとこじゃないか。僕が踊りたくなるんだもの!」と言うじゃないか。マイケル・ジャクソンが、このイントロは彼を踊りたくさせる、と言ってる。他の者は黙ってろってことだろ?これはブルースやラテンじゃないんだから、マイケルが躍らせろと言ったらそうするしかない。マイケルの勝ちさ。」 1983年5月16日、モータウンが設立25周年を記念して盛大なイベントを開催。アメリカNBCで放送された『Motown 25, Yesterday, Today and Forever』、マイケルはこのイベントにそれほど参加したくないと思っていたのですが、父親や兄貴たち、ベリー・ゴーディらにごり押しされて、結局参加することに。そのかわり、マイケルはひとつの条件を出しました。それが、エピックでのソロの曲である『ビリー・ジーン』のパフォーマンスをさせてもらうことでした。 マイケル 「モータウンレコードの25周年記念コンサートに出演して、最初にムーンウォークを披露した後、満足のいく出来ではなかったので、バックステージで嘆いていたんだ。でも、帰ろうと車に向かって歩いている時、小さな男の子に救われた。たぶん12歳くらいのユダヤ系の男の子で、その子が僕に「わぁ、あなたってなんてすごいの。あんなダンス、誰に教わったの?」と言ってくれた。その時初めて自分が良い仕事をしたと思ったんだ。子どもは嘘をつかないからね。そしてその後は気分が良くなったよ。」 「すべて自然発生的な動きなんだよ。まったく何も──ビリー・ジーンの話だけど、ムーンウォーク以外は決められていなかった。すべてホントに、即興だったんだ。」 『Motown 25』でのムーンウォークは、たちまち社会現象に。大人も子どもも、誰もが自分もムーンウォークが出来るかどうか挑戦しました。 『Motown 25』の翌日、マイケルにとっての最高のアイドル、フレッド・アステアはマイケルを褒めてこう言ったと言われています。 フレッド・アステア 「君はとんでもなくよく動く。君という男は昨夜、実にすべての観衆の度肝を抜いた。君は怒れるダンサーだね。私も同じようにやってきた。私はステッキを手に同じことをやってきたものだが・・・君はむちゃくちゃとんでもないダンサーだ!」 また、マイケルはインタビューで、「パフォーマンスするのが好きな曲は?」と聞かれ、こう答えています。 マイケル 「『ビリー・ジーン』。いつもと同じようにやらなくて良い時だけだけどね。観客はいつも決まったことを求めている。決まったところでムーンウォークしなくちゃいけないし。別のバージョンでやりたいと思うんだけどね。」 2001年9月NY、30THアニバーサリー・コンサートでのパフォーマンス。後半のダンスパートで、一瞬「どうしよっかな~」と考えたりしてる様子が分かります。 |
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