Part.2 からの続き Part.3
EBONY: もうひとつのビッグな瞬間といえば、『モータウン25』のパフォーマンス。 Michael: 僕は『ビート・イット』の編集でスタジオにいた。諸事情あってモータウンのスタジオで作業することになってね──僕がモータウンを離れてからずい分経ってた。彼らはモータウンのアニバーサリーに何かやる準備をしてるところで、ベリー・ゴーディが僕のとこにやって来て尋ねた、何かやりたいかって。僕は彼にノーと言ったんだ。『スリラー』の仕事があったからノーと言ったんだ、僕はその後に予定していた色々なことを作り上げてる最中だったから。彼は、「でもこれはアニバーサリーじゃないか」と言った。僕は、「じゃあやろうかな、でもそのかわり、モータウンでの曲じゃないやつをやらせてくれるのならね」。彼は、「何だい?」、「『ビリー・ジーン』」、「オーケイ、良いよ」。僕は聞いたよ、「本当に『ビリー・ジーン』をやらせてくれるの?」 彼は「そうだよ」って。 で、僕はリハーサルして、振り付けをして、兄弟たちに衣装を着せて、曲とメドレーを選んだ。それだけじゃなくて、カメラ・アングルもすべて考えなくちゃならなかった。 僕は自分がやることすべてを監督し編集したんだ。みんなが目にしたすべてのショットは僕のショットさ。どうしてそういうふうにやらなきゃいけなかったか言わせてもらうとね、僕には5つのカメラ、いや6つのカメラがあった。パフォーマンスする時に──それがどんな種類のパフォーマンスでも構わないよ──もしもキチンとそれを記録しておかないとしたら、人々がそれを目にすることはけっしてない。世界一わがままな手段だよ。フィルムに残すんだ、何を人に見てもらいたいか。いつそれをみてもらいたいのか。どのようにそれをみてもらいたいのか、どんな並びでそれを見せたいのか。 >> 続きを読む >>
EBONY: どのくらいそういった要素すべてを創り上げてきたの?
Michael: 小さな子どもだった頃から、僕の兄弟たちとね。僕の父はよく言ったよ、「見せてごらん、マイケル、やってごらん」。 EBONY: 兄弟たちはそれに対して嫉妬したことはないの? Michael: その時は、みんなそういうのを見せたりすることは全然なかった。でもそれはなかなかハードだったに違いないよ、だって、リハーサルや練習中に僕がビシッと打たれることは、もうなかったからね(笑)。まぁ、トラブルになったのはその後だけどね(笑)。本当だよ、僕が罰を受ける時はそうだったんだ。僕の父は手にベルトを持ってリハーサルしたものさ。へまは出来なかったよ。僕の父はステージングを教え込むこととなると天才だったんだ、観客には何が有効か、次にやるべきことは何かを予想して、あるいは、僕らが苦しんでいたり何かがおかしくなっていたりしても、そういう面は観客に絶対に見せない。そういうのは彼はものすごかった。 EBONY: あなたがビジネスセンスのみならず、全部丸ごと一式をコントロールする方法を身につけたのは、そういう所でだと思う? Michael: まったくそうだよ。僕の父の経験、それに僕自身、父からたくさんのことを学んだ。彼は若い頃、ファルコンズというグループをやってたんだ。彼らはいつも集まって音楽をやってた、だからうちにはいつも音楽とダンスがあった。これは黒人文化的なものだね。家具を全部どけて、音楽をかける。楽団が来ると、みんなフロアの真ん中に出て、何かやるってことさ。大好きだったな。 EBONY: 今、あなたの子どもたちはそういうことをする? Michael: するよ、でも彼らは恥ずかしがるんだ。でも、時々僕のためにやってくれるよ。 インタビュー音声「MTV」 EBONY: ショーマン・シップについて話そうか。MTVはブラック音楽を流さなかった。あなたにとってそれはどのくらいハードだった? Michael: 彼らは(黒人アーティストを)プレイしない、と言った。それは僕の心を引き裂いたけど、同時に、何か火がついた。僕は自分に言い聞かせていたんだ、「何かやらなくちゃいけない・・・」、僕はただ、無視されるのはお断りなんだ、それで、そう、彼らは言った、「『ビリー・ジーン』、これは流せない」。 でも、それが流れると、最高記録になったんだ。それからは、彼らは僕にすべて頼んできた。彼らは僕らのドアをノック・ダウンされたんだ。それからプリンスが登場した。プリンスにドアが開かれ、他のすべての黒人アーティストたちにもね。(以前は)24時間へヴィー・メタルだったんだ、ただのクレイジーなイメージの詰め合わせでさ。前に何度も彼らが僕の所に来て言ったよ、「マイケル、君がいなかったら、今のMTVは存在しなかったよ」。彼らは僕に何度も何度もそう言ってくれた、個人的にね。僕が思うに、彼らは当時聞く耳を持たなかったけれど、でも純粋に悪意があったわけじゃないと僕は確信してるよ(笑)。 EBONY: あれは本当に今のビデオ時代の幕開けになったね。 Michael: 僕はMTVをよく観てたものさ。兄(ジャッキー)が、忘れもしないよ、彼が言うんだ、「マイケル、このチャンネル見なきゃダメだよ。オゥ、マイ・ガッ、最高のアイデアじゃないか。毎日24時間音楽をかけてるんだ!」 で、僕は、「僕にも見せて」。それで見ながら、そこで流れてるもの全体を考えてみて、「こういうことが出来るんだったら、もう少しエンターテインメントの要素を加えて、もう少し物語も、もう少しだけダンスも加えて、そうすればストーリーを持たせられるな──はじめ、中、終わり、というような──そうすれば物語の筋を追えるし、一貫した筋道があればいいと思った。そうすれば、観ている人はエンターテインメントを楽しみながら、次は何が起こるんだろうとワクワクできる」。それが僕らが『スリラー』や『ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール』『BAD』『スムース・クリミナル』の実験や、監督、ライティングを始めた時のことさ。 EBONY: ミュージック・ビデオや音楽業界の現状についてはどう思う? Michael: (業界は)岐路にあるよね。変化が起きている。みんな混乱してる、これからどうなるんだろう、どうやって音楽を流通させ、売っていけばいいんだろう、とね。インターネットとかそういうものは、本当に誰もが驚愕したと思う、すごくパワフルだし、キッズたちはそれがすっごく大好きだからね。世界丸ごとが指先ひとつで手に入る。知りたいことは何でも、コミュニケートしたい誰とでも、どの音楽でも、どの映画でもね。こういうことは、誰もが衝撃だった。今現在だと、スターバックスでの売り方とか、ウォルマートでの売り方とか、アーティストと直接、だとか、それが答えなのかどうかは僕には分からない。ただ驚異的な素晴らしい音楽、それが答えだと思ってるよ。ただ、大衆に響くこと。人々は今でも探し求めてると思うんだ。今現在起こってるのは、本当の意味での音楽的な変革ではないんだ。でも、もしそれが来れば、人々はそれを手に入れるために壁をぶち壊すだろうね。つまり、『スリラー』の前というのがこれと同じようなものだった。人々は音楽を買っていなかった。あれは、みんなを店に呼び戻すのに一役買ったんだ。だから、そういうことになれば、そういうことになるよ。 EBONY: 自分が歴史を変えてきたんだ、と実感して、どう思う?そのことについてよく考える? Michael: うん、考えるよ。本当にね。僕たちがドアを開け、多くの涙を流した、そのことをとても誇りに思う。世界中をめぐって、ツアーをしていると、スタジアムで、音楽の影響を目の当たりにするんだ。ステージの上から見渡すと、肉眼で見える限りでも、みんなが見えるんだ。素晴らしい感覚さ、でも、それはたくさんの痛みも伴う、たくさんの痛みもね。 EBONY: なぜそんな? Michael: ゲームでトップになれば、パイオニアになれば、人々は襲い掛かってくる。でも、僕は感謝してるよ、いろいろな記録達成、最大セールスのアルバム、ナンバー1ヒット曲、そういうことにはいまだにありがたく感じてるよ。 Part.4 に続く |
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