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| | 【2024/03/19 20:16 】 TOP▲
雑誌『EBONY』、2007年。スリラー25周年記念号。Part.1
『EBONY』マイケル・ジャクソン記念号アメリカの雑誌『EBONY』の表紙をゴージャスに飾ったマイケル、2007年冬のホリデーシーズン前の特別号。

ニューヨークのブルックリン・ミュージアムで行われたフォト・シュートと独占インタビューによる22ページのマイケル特集。姉妹誌『Jet』の表紙にもこの時に撮影された金色マイケルが登場しました。

雑誌の発行の後には、EBONY/Jetウェブサイトにも、ゴージャスなマイケル特集ページがアップされました。写真、インタビュー音声、エディターが答えるQ&Aなど、盛りだくさん。雑誌を購入し損ねた人も、必見。

「質問;マイケルはシャイな人だった? 編集者答え; ノー、驚いたことに、彼はとてもシャイというわけではなかった。仮面に覆われてるわけでもなく、質問にダイレクトに答えてくれた」・・・・・・などなど、「EBONYだからこそ」の内容です。

 http://www.ebonyjet.com/michael_jackson/

ぜひ、07年のマイケルのインタビュー音声を聞いてみて下さい。あれ、インタビューは苦手って言ってなかったっけ?というくらい、ノリノリで喋っていて楽しいです。
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| 発言、インタビュー/テキスト | コメント(2) | トラックバック() | 【2007/11/01 01:57 】 TOP▲
雑誌『EBONY』、2007年。スリラー25周年記念号。Part.2
 Part.1 からの続き Part.2


 インタビュー音声「Friendly Competition

2007年、EBONY、マイケル・ジャクソン特集Michael: 彼(クインシー・ジョーンズ)と一緒になって最初のが『オフ・ザ・ウォール』、僕らの最初のアルバムで、それでロッド・テンパートンがスタジオにやって来て、彼はこの必殺の──彼は小さなドイツ人で、ドイツのウォルムスから来た人なんだ──彼はこういうのを持って来たんだ、(『Rock With You』冒頭ビートを軽快に口ずさむ)「ドゥープダカダドゥー、ダカダカダドゥー」、こういう、『ロック・ウィズ・ユー』のメロディーとコーラス全部を持って来た。ワ~ォ!それを聴いた時、僕は言ったよ、「オーケイ、僕も本気で仕事しなくちゃ」。だから、ロッドが何か出してくる度に、僕も何か出して、僕らはちょっとフレンドリーに競争してる形になったわけさ。そういうふうに仕事するのは大好き。ウォルト・ディズニーがどうやっていたか読んだことがあるんだけど、彼らはバンビや何かアニメをやるとしたら、部屋の真ん中にシカを置いて、アニメーターに競争みたいなことをさせるんだって、色々なスタイルで描くというようなね。ウォルトが好んだみたいに、スタイルを持った人なら誰でも、そういうのを選ぶだろうね。競争みたいなことをする、それはフレンドリーなものだけど、競争なのさ。より高い試みを生み出すから。そんなわけで、ロッドが何か持ってくれば、僕も何か持ってくる、で彼はまた何か持ってきて、僕は別の何か持ってくる。そういうワンダルフルなものをクリエイトしたんだ。
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| 発言、インタビュー/テキスト | コメント(0) | トラックバック() | 【2007/11/01 01:00 】 TOP▲
雑誌『EBONY』、2007年。スリラー25周年記念号。Part.3
 Part.2 からの続き Part.3


EBONY: もうひとつのビッグな瞬間といえば、『モータウン25』のパフォーマンス。

2007年、EBONY、マイケル・ジャクソン特集Michael: 僕は『ビート・イット』の編集でスタジオにいた。諸事情あってモータウンのスタジオで作業することになってね──僕がモータウンを離れてからずい分経ってた。彼らはモータウンのアニバーサリーに何かやる準備をしてるところで、ベリー・ゴーディが僕のとこにやって来て尋ねた、何かやりたいかって。僕は彼にノーと言ったんだ。『スリラー』の仕事があったからノーと言ったんだ、僕はその後に予定していた色々なことを作り上げてる最中だったから。彼は、「でもこれはアニバーサリーじゃないか」と言った。僕は、「じゃあやろうかな、でもそのかわり、モータウンでの曲じゃないやつをやらせてくれるのならね」。彼は、「何だい?」、「『ビリー・ジーン』」、「オーケイ、良いよ」。僕は聞いたよ、「本当に『ビリー・ジーン』をやらせてくれるの?」 彼は「そうだよ」って。

で、僕はリハーサルして、振り付けをして、兄弟たちに衣装を着せて、曲とメドレーを選んだ。それだけじゃなくて、カメラ・アングルもすべて考えなくちゃならなかった。

僕は自分がやることすべてを監督し編集したんだ。みんなが目にしたすべてのショットは僕のショットさ。どうしてそういうふうにやらなきゃいけなかったか言わせてもらうとね、僕には5つのカメラ、いや6つのカメラがあった。パフォーマンスする時に──それがどんな種類のパフォーマンスでも構わないよ──もしもキチンとそれを記録しておかないとしたら、人々がそれを目にすることはけっしてない。世界一わがままな手段だよ。フィルムに残すんだ、何を人に見てもらいたいか。いつそれをみてもらいたいのか。どのようにそれをみてもらいたいのか、どんな並びでそれを見せたいのか。
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| 発言、インタビュー/テキスト | コメント(0) | トラックバック() | 【2007/11/01 00:50 】 TOP▲
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