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| | 【2017/10/20 12:11 】 TOP▲
2002年、マイケル vs SONY。「SONY kills MUSIC!!」
この記事は、コチラのマイケルのスピーチの補足記事として、ご参考までに。
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マイケルは、『BAD』までの時点ですでに世界最高のポップ・アーティストとしての地位にのぼりつめていたため、90年代初めの、レコード会社との契約更新の際に、非常に強気の条件提示をすることが出来ました。これは、当時ギネスブックに載る史上最大の規模のレコード契約となりました。モータウンを離れ、大人のアーティストとして出発したばかりの頃のマイケルが契約したのはエピック・レコードでしたが、キング・オブ・ポップがこの巨大契約を結んだ時には、企業買収などによって、頭はSONYになっていました。

ある時期までは、ミラのような海の向こうの一ファンの目から見ても、両者(レコード会社とマイケル)は、とてもうまくやっているように思えました。マイケルはアーティストとして制作面に精を出し、レコード会社は戦略的に「売る」ことに力を注ぎました。ヒストリーの時などは、プロモーションの一環として、ヨーロッパで各地でバカバカしいほどの巨大マイケル像がぶち建てられてしまったほどです。(また、個人的にはマイケルは、SONYの盛田昭夫さんにはとても心を寄せていて、この二人の間には人間的に、(ビジネスに影響があったか否かは別として)本当の信頼があったとミラは考えています。)

さて、90年代の終わり頃から、少しづつ両者の確執が報じられるようになります。マイケルがビジネスマンとして巨額の版権を手に入れたことなども絡んできます。具体的な真相は、ミラからは何も言えませんが、明らかに、アルバム『インヴィンシブル』のリリース時のプロモーションは、それまでとは規模も空気も異なりました。「マイケル・ジャクソンの新作リリース」とは思えないほど、ひっそりとしたものでした。そして実際、売り上げの数字も(あくまでも、それまでと比較すれば、ですが)、ひっそりとしたものにとどまったのです。

さらに恐ろしいことに、『インヴィンシブル』からは、ショート・フィルムがマイケルが出ているものとしてはたったの1作しか制作されていません。たったの1作!これは明らかに、マイケルの製作意図とはかけ離れた状況でした。マイケルは、インタビューなどで何気なく喋っている内容からも明らかなように、このアルバムでもゴージャスなフィルムを多数制作するつもりでした。この曲は誰某が監督の予定で・・・とか、この曲もシングルカットされるよ、とか実際に発言していて、つまり具体的なプランが間違いなく頭にあったのです。『THREATENED』などは、一聴で、「ははぁ、マイケルはまた、どかんと『アレ』をやりたいんだな!w」と、ファンなら誰でも察しがついた、明らかに「フィルムありき」の曲だったのです。
また、マイケル自身の自信作、お気に入りの曲はどれもシングルにはなりませんでした。『YOU ROCK MY WORLD』も良い曲ですが、マイケル本人が一押しだったのは『アンブレイカブル』であり『スピーチレス』でした。特に『アンブレイカブル』には思い入れがあったようで、これに特大フィルムを付けてリード・シングルにしたかった、ところが、そうはならなかったのです。

こういった仕事は、いくらマイケル・ジャクソンでも、たった一人では作ることは出来ません。プリンスみたいに、大きなプロダクションを切り捨てて、密室職人的に別の道を選んでやっていく、そういうアーティストもいるにはいますが、だからといってマイケルがそういった道を選ばなければいけなかったかどうか、私には何も言えません。そして同時に、ジョージ・マイケルやマライア・キャリーのように、公衆の面前でSONYにズタズタにされてきて、復活まで何年もかかったアーティストたちが何人かいることも事実です。

要するに、マイケルは、『インヴィンシブル』のプロジェクトでのSONYからの自分の取り扱いに不満を持ち、ついに爆発させた。この対立は、双方に言い分があり、SONYに言わせれば、「マイケルは時間も金も悠々と好き勝手に使い過ぎる。会社として、費用と効果を計って、大物だろうが尻を叩くのは当然。会社はこれまでどおりの規模のPRをやった。売れなかったのは誰のせいか?芸術家がそんな文句を垂れるの?バカげてる!」

また、一般の音楽ファンのなかの空気も、「いくら大物だからって、売れなかったのをレコード会社のせいにしてゴネているマイケル・ジャクソンなんて、落ちたもんだね・・・」という意見があったことも確かです。ただ、本当はマイケルの主張の核は、売れなかったことという狭い問題に文句を言っているのではありません。この対立はエスカレートし、マイケル一人の問題ではなく、「音楽業界全体における黒人差別」というややこしい問題に発展します。マイケルは有名黒人指導者たちと共に、先頭に立ってスピーク・アウトし始めます。

「マイケルは優しくて、怒ったりしない、おっとりしてて、永久に子どもみたいな天然くんで・・・」という従来のイメージをファンは大切にしたがりましたし、売れた売れないでごねているマイケルなんて見たくない、というファンは、遠い日本では特に多かったんじゃないかと思います。人種問題に比較的疎く、「おいおいマイケル、能天気に楽しい歌だけ歌ってくれていればいいのに・・・」と感じたファンも多い。
自然と、実際に何が起こっていたのか、という話は、海の向こうまではあまり詳しくは伝えられて来ませんでした。当のUKやUSでは、怒って闘うマイケルの姿は、たぶんもっと広く知られていると思います。

結局、『インヴィンシブル』での待遇問題に関しては、訴訟でSONY側が全面的に非を認めました。しかし、そうこうしているうちにマイケルは思うようなクリエイションが実現出来ず、経済的にもイメージ的にも時間的にも、総合的に見れば大きなダメージを受けました。

その後の「虐待裁判」陰謀の黒幕には、実は音楽業界の対抗勢力が存在する、すべてはマイケルへのリベンジと金のための陰謀だ・・・と発言する人までいるくらいですが、そこまでのことはミラにはまったく分かりません。証拠なしに憶測で何か言うことは恐ろしいことです。

ただ、元来は思慮深く、寛大で物静かな「あのマイケル」が、「陰謀だ」だとか「トミー・モトーラは悪魔だ」などと、およそ彼らしくない激しい言葉を使って発言を始めたその腹の中には、そうさせるほどの大きな何かがあったには違いないと思います。それまでのマイケルは、どんな怒りも苛立ちもすべて作品上に昇華させて、芸の肥やしにしてきたのですが、最悪なことに、そのクリエイションを封じ込められてしまったのです。それはマイケルの命でした。



SONYビルを取り囲みデモを行うMJサポーターたち。マイケル本人も、サポーターがチャーターしたロンドン名物バスに乗り登場。バナーを手に、抗議活動を行っています。一連の活動は、秩序を保ち、ごく平和的に実行されました。
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| 誰のスキャンダル? | コメント(0) | トラックバック(0) | 【2002/06/15 23:11 】 TOP▲
2002年、クリスマス・メッセージ。ホーム2002年、ファンクラブのイベントでのスピーチ。「T.M.は悪魔!」
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