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| | 【2024/04/26 14:08 】 TOP▲
2005年3月、Jesse Jackson師によるインタビュー。Part.2
Part.1 からの続き Part.2 「悲しかった、僕は公園に行きたかったから。僕には子ども時代がなかった──でも僕がやりたいのは、僕よりもっと不運な子どもたちを助けることなんだ。」


 Rev. Jackson interviews Michael Jackson part.2(インタビュー音声、MP3)

Michael: イエス、もちろん見たよ、彼らは僕の友達だった。ああいった偉大なアーティストたちすべてね。僕がすごくラッキーだったのはそういう理由なんだ。僕はそういうただの小さな子どもで、そういう人たちを見上げていた。僕らは本当に緊張して、彼らの才能には、畏敬の念に打たれていたよ。僕はそれをただ観に行くだけではなくて、僕は脇のカーテンの所、ウィングのサイドの所から、すぐ近くから見ていたんだ。そういった偉大なアーティストたちを僕は知るようになった。世界一のエンターテイナーたちだった。ショー・ストッパーたちだった。僕は彼らの後にステージに上がらなければならない時もたまにあった。アメイジングだったよ!

Rev. Jackson: だけど、私がティトとジャーメインを記憶してる最初の時は、君はすごく幼くて、すごく小っちゃかったね。、君はジャクソン5の一員だった。自分がショー・ストッパーだと自覚したのはいつの時点だい?
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Michael: 特別な能力を持っているとするよね。すると、他の人みんなも自分と同じ贈り物を持っていると思うから、それを自覚しないんだ。だから、気がつかないよ。そういう幼い頃、僕が歌っていた時、人々は僕が歌うのにすごくインスパイアされて、彼らは気に入ってくれた。僕は、なぜ彼らが拍手したり泣いたり、あるいは叫び始めたりするのか、わかっていなかった。僕は本当に、全然わかっていなかったんだ、ジェシー。で、人生のもっと後になって、人が僕の所に来て言う、あなたは自分が特別な贈り物、あるいは特別な才能を持っていることを認識してるの、とね。僕がただ覚えてるのは、僕の母から、彼女はいつもとても信心深いんだ、彼女が僕たちにこう言う、いつでも神に感謝しなさい、あなたの才能、能力をエホバの神に感謝しなさい。つまり、それは僕たちの行いによるものではないんだ、それは天からのものだ。だから、僕たちはいつも謙虚にさせられてきた、人が賞賛やへつらい、あるいはとにかく何でも、そういうのを持って来てもね。

Rev. Jackson: 君が学校に行くのをやめたのはいつ?

Michael: オゥ、僕はとても幼かったよ。それはたぶん・・・まいったな、うーん。5年生、5年生か4年生だったと思う。それから残りの人生は家庭教師。なぜなら僕たちはすごくたくさんツアーやコンサート、テレビ、諸々仕事があったし、アルバム全部、レコーディング全部。僕たちは3時間学校の勉強をして、それからコンサートをやって、そして別の州や別の国に旅したものさ。それで、その頃までに僕たちはいくつかのコンサートを再びやって、すると今度はJ5の次のアルバムをやる時期が来ていて、J5のアルバムの後には、また別の、マイケル・ジャクソンのアルバムをやる時だ、となった。だから、僕の年少時代、小さな子どもだった時、僕は常に忙しかった。モータウンのレコーディング・スタジオから通りの向こうに公園があったのを覚えてるよ。子どもたちが大声でサッカーや野球のボールを投げたりしてるのが聞こえていたんだ。僕は毎日スタジオに行きながら、なんだか悲しいような気持ちになったのを思い出す。僕は公園に行きたかったから。でも、僕には別の、やるべき仕事があると知っていて、ほら、行ってレコードを作るというね。夜遅くまで一日中、それから寝て、次の日また起きて。その同じ繰り返し。

Rev. Jackson: それは・・・君は子ども時代の経験の、ある大部分を逃したわけだね。この、普通の子ども時代の経験のロスに、君はどのように埋め合わせを?

Michael: 僕は──それは正しいよ。僕には子ども時代がなかった。でも、僕自身や、他の子役スターたちのような人みたいに、子ども時代を持てなかったとしたら、後になってロスを埋め合わせしようとする、なんとか追いつこうとするものなんだ。それが、見たことあるかもしれないけどテーマ・パークや遊園地の乗り物、僕の家にあるような環境、その理由なんだ。でも、僕がやりたいのは、僕よりももっと不運な他の子どもたちを助けることなんだ。終末期の子どもたち、病気の子どもたち、都市部の貧しい子どもたち、ゲットーのね、彼らに山を見せてあげたり、乗り物に乗ったり映画を観たりアイスクリームを食べたりさせてあげる、そういったことをね。

Rev. Jackson: 君の変わった点のひとつといえばもちろん、マイケル、君は(大)家族を持ってるね。何人の、家族は何人だっけ?

Michael: 直接のジャクソン一家?

Rev. Jackson: そう。

Michael: 元々は僕たちは10人。(今は)9人だよ。9人いる。それに僕の母キャサリンとジョセフ・ジャクソンは今も健在。僕らはみんなインディアナ州ゲイリーで生まれたんだ。
(ミラ注・・・マーロンの双子の弟ブランドンは、生後まもなく死去。)

Rev. Jackson: じゃあ、そういう環境で、ティトやジャーメインが君をいじめたりとか、普通の子ども時代の経験は与えられた?年下の弟として。

Michael: 僕らはツアーをしていた。僕らはマイアミに行ったものさ。僕らはビーチを使用できた。当時僕たちはすごくポピュラーだった。ジャクソン5が行く先はどこでも、大騒ぎになった。僕たちはショッピング・センターにもどこにも行けなかった、キッズたちが叫んでいるんだから。僕たちは次から次へとヒット曲を出してた。僕たちは全米中のアリーナで公演していた。だから、すごく難しかったんだ。 僕たちはホテルの中でいくつか楽しみを持つ機会を得ていたよ。ホテルで枕投げをしたり、もし泳ぎたくなったら下のプールで泳いだり。その手のこと。

Rev. Jackson: 枕投げは誰が勝ってたの?

Michael: たいていティトかジャッキー。彼らが年長だからね(笑)。

Part.3 へ続く 
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| 発言、インタビュー/音声あり | コメント(0) | トラックバック() | 【2005/03/29 02:43 】 TOP▲
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