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| | 【2025/01/16 07:42 】 TOP▲
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Part.4 からの続き Part.5
Jamie: 彼は(しばらくの間)、あの農場に住んでいたわね。 Raymone: 彼は、ヴァージニア州のミドルバーグに6ヶ月間いたわ。彼は・・・300エーカーの敷地だったかしら? Jamie: そしてあなたは、ここワシントンで、彼を大使館に連れてきていたわね。 Raymone: あれは2004年だった。エチオピア大使館だったわ。彼は賞を受賞したの。 (画像右; 2004年4月1日、エチオピア大使館にて。アフリカにおけるAIDSとの戦いの活動に対して、マイケルに賞が贈られた。) >> 続きを読む >>
そしてそれから彼はデブラ・リー(=BETのCEO)の家に滞在した。彼はレセプションで、彼女から、彼の博愛を記念する賞を受け取ったの。それから私たちは、ヴェガスにも行ったし、日本や、ロンドンや、世界中に行ったわ、で、彼は病気なんかじゃなかったわ。
Jamie: 彼と一緒に日本に行くことに、あなたは私を招いてくれたわけだけど、彼、食べてたわね(笑)。 Raymone: 食べたわね。みんな、彼は食べないって言うけど、でも彼、食べたわね。あなた、彼が食べるの、見てたのね。 Jamie: えぇ、私たち、日本のディズニーランドでそのビッグなディナーを頂いたのよね。 Raymone: 彼は毎日、私たちに何を注文すればいいか言って、それを自分で食べてたわね(笑)。 Jamie: 彼は何を食べるのが好きだったの? Raymone: 彼が体重を大きく増やさなかった理由の一つは──彼がここにいた頃、彼は140か145ポンド(=約63~65kg)くらいだったと思うの、だって彼は6フィート近く身長があったから。(ミラ注・・・6フィートは約183cm。マイケルの身長はミラのうろ覚えでは178cmくらいと聞いたことがあるような気が。うろ覚え。) Jamie: 彼、6フィートの身長だった? Raymone: えぇ、彼はほとんど6フィート近くだったわ。ともかく、彼が食べていたのは、グリル・チキンや、玄米・・・ Jamie: でも彼って、ケンタッキー・フライドチキンが好きだったんじゃなかった? Raymone: イエス、すごくね!でも彼はターキーも好きだったし、ドレッシングやクランベリー・ソース、スイート・ポテト、キャンディード・ヤム(=感謝祭の定番さつまいも料理。洋風大学イモ)も。それに彼は好きだったわね、マカロニ&チーズ、マッシュ・ポテトにグレービー。 で、これは可笑しかったんだけど(笑)、私たちは子どもたちのために一つメニューを組み立てて、彼のためにはもう一つ組み立ててた、そうよね?私たちは、チキン・フィンガー(ささみのフリッター)やホットドッグやターキードッグやチーズバーガーやフライドポテトを食べてた。そしたらマイケルはこんな感じよ、「レイモン、これってすごくジャンクだね、ピザ?」 彼は言ったわ、「僕は子どもたちがたまにはそういうものをいくらか食べるのは気にしないんだけどね、でも君は、毎日メニューにそれを入れてるね」。私は、彼らはまだ子ども(だから好きなものを食べさせてあげればいい)じゃないの、と言った。そしたら彼は、「ノー、ノー」。彼は本当に、私の気持ちを害したくはなかったのね、だから彼はいつもこう言ってた、「じゃあ、あのさ、こうしよう。メニューに一つか二つは、そういうのを入れたままにしよう、でも僕は彼らにグリル・チキンやターキーを食べてほしいんだよ」。 そして裁判中、私はいつも出かけて行ってて、私はよくこの大の・・・ブランケットは私の大のお気に入りよ。 Jamie: ブランケットや子どもたちがマイケルと遊ぶのはどんなふうだったか聞かせて。何か子どもたちがやっちゃダメと彼に言われてて、でも結局やっちゃった、みたいなことはある? Raymone: 忘れもしないわ──ブランケットが自分の足で立っていたの。マイケルと私は、いつも話していたの、彼は、「彼が大きくなった時に何をしているか見るのが待ち切れないよ」。そして私にこうも言ったわ、「あぁ!彼は困難になるかもしれないな」。私は、「彼は政治家になるんじゃないかしら」。私はいつもマイケルに言い続けていたの、「彼、オフィスまで走って行きそうよ」、ブランケットはちょうど自立したところだったから。ブランケットが大好きだったわ。マイケルに話しかける時、私はこう言ったものよ、「ブランケットと話してもいい?」 それに、あなたも覚えてるでしょ、日本に行って、外に出かける時に、ブランケットが行きたがらなかった。それでマイケルはこう言い続けていたわ、「ちゃんと服を着なくちゃダメだよ」。でも彼は、「ノー、んーんー、行きたくないよ」。マイケルは、「えー、行くんだよ」。ブランケットは、「行きたくない」。それで、ブランケットはクローゼットの中に隠れちゃった。私が、「ブランケットはどこ?」と言うと、マイケルが「クローゼットの中だよ」。私がクローゼットを開けると、ブランケットはこう言うの、「えぇと、僕は彼に、行きたくないって言ったんだよ」。 彼らはすごーくワンダフルだった。それにパリスはきれいだわ。私はいつもマイケルに、パリスは将来ファッション・モデルになるわよ、って言ったの。彼はコメントしなかったわ。 Jamie: マイケルが旅立ってしまったと聞いて、どう感じた?どんなふうに聞いたの? Raymone: 信じなかった。私は信じなかったの、なぜなら、私のママが入院中で、集中治療中だったの。で、私の携帯電話は鳴りっぱなしで、一つの着信が鳴り止む前に、次の着信が鳴る、という状態だった。多分、1分間に40着信とか、それくらい鳴ってたので、私はオフィスに電話して、「一体どうなってるの?」という感じだった。すると、グラディスが言うの、「レイモン、マイケルが心停止で亡くなったというのは本当かと、みんな確認の電話をしてきているの」。私は、「その手の話にはウンザリよ、彼が何かメジャーなことをする準備ができたらいつもこうなんだから。噂よ」。それから私はあなたと話したわね、あなたは「ねぇ、彼が亡くなったと聞いたわ」、私は「連中はいつもこういう噂を流すのよ。こんな噂を私が何度打ち消さなければいけなかったと思う?」 つまり、私は彼のために働いていた期間で、少なくとも4回(こういうことがあった)。それから、私はLAからの、内部のある人から電話を受けて、彼が亡くなったと聞いたの。信じられなかった。完全に打ちのめされたわ。 Jamie: 家族の一員を失ったようなものだったものね。 Raymone: えぇ、そう。そうよ。 Jamie: でも、あなたとマイケルは、その時は一緒にいなかった、なぜならあなたは、彼を訴えなければいけなかった──なぜならあなたは、彼の契約のすべてをまとめてきたから。それらの契約について聞かせて。 Raymone: 私たち以外、他の誰でもないの。契約をテーブルの上に持って来たのは自分だ、と言う人たちすべてに聞きたいわ、どこから?とね。あなたどこにいたの?と。あなたは現場にいてさえいないじゃない、と。一体どこで契約を見つけてきてテーブルの上に持ってきたの?と。25周年アニバーサリーCD、SONY/ATVの財政立て直し、AEGの契約。AEGとの話し合いが始まったのは、マイケルと私と、チームの他の何人かが彼らと会い始めた2007年1月にさかのぼるわ。ところが、彼の新しいアドバイザーたちが、彼を遠ざけるようになった。 Part.6 に続く |
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