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美しきたてがみ女神ファンの皆さん、お待たせしました。
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3月は、いろいろと悲しい思いに耐えなければいけない月だと思いますが、MJファンとしては、とある「世界的にそこそこ有名なロック・ミュージシャン」による、悪意とも無知とも計りかねるバカバカしいMJ中傷から3月がスタート、またもやガックリうんざりグッタリ、という人もいるかもしれません。
What? 一体何の話?というアナタ、それで良いです、知る値は丸ごと、無い。 Who? ジーンなんとか・・・誰それ?有名なの?というアナタ、誰でしょうね?発言行為が事実だとすれば、たいしたミュージシャンではないということを自らアピールしているだけ、でも反省して、マトモも頑張って、良い音楽を創ってもらいたいね。 下らない中傷の言葉を、もうマイケルの耳に入れずに済むということ、これだけは本当に救いです。聞きたくなくても聞こえてくる卑劣な嘘や悪口、しかももうこの世で反論できない人に対して──でも、マイクがいてくれれば、きっとこう言うだろうね、そんな小物は気にするな。僕は気にしない。みんなも、サイのうろこの鎧を心に持て。気にするな、許してやれ。 そんな、マイク・・・ガンジーな君がオーケイって言ったって、凡人の私たちは気がすまないよ・・・という、そこのアナタ。Don't worry, 雑魚退治には、ジェニファー兄貴がすかさず反論してくれました。そしてもちろん、そんな下らない話をするためだけに、今回ジェニファーを引っ張り出してきたわけじゃありません。 前置きはこれくらいにしましょう、here is...ジェニファー!久しぶり! Michael Jackson: His lead guitarist Jennifer Batten gives a rare insight 2010年3月5日(Sawf News)── 1年前の今日、マイケル・ジャクソンはロンドンO2アリーナでの記者会見で、『THIS IS IT』コンサート開催を発表した。あれから1周年の記念に、チャールズ・トムソン(Charles Thomson)は、ジャクソンに長く仕えたギタリスト、ジェニファー・バゥトン(Jennifer Batten)と一緒に腰を下ろし、マイケル・ジャクソンのツアーの舞台裏は本当はどのようなものであったのか、話を聞いた。 ジェニファー・バトゥン・・・その名に、すぐにピンとはこないかもしれないが、姿を見ればおそらくあなたも彼女のことが分かるだろう。「誰でもおなじみの名前」というわけではないが、にもかかわらず、彼女はアイコンなのだ。 80年代、90年代を通じ、彼女は世界中のスタジアムにおいて、完売公演の演奏をしていた。彼女のイメージは、お茶の間の数億人の観客にまで届けられた。そこらじゅうの若い女の子たちが、ジェニファー・バトゥンになりたかったのだ。 あなたがもし、マイケル・ジャクソンのコンサートに行ったことがあるのならば、彼のパフォーマンスをテレビやあるいは『ムーンウォーカー』のチケットを買って見たことがあるのならば、あなたはジェニファー・バトゥンを知っているはずだ。彼女は、ジャクソンの、背の高いスレンダーな目立つギタリストだ、もしかすると、彼女のことで一番有名なのは、輝く白い巨大なたてがみかもしれない。 「私の髪を真っ白にして大きくするというのは、マイケルのアイデアだった」と、バトゥンは言った。「写真のなかに見えるのは、マイケル・ジャクソンと私の髪だけ、ということがよくあったわね!」 バトゥンは10年間、ジャクソンのリード・ギタリストをつとめ、彼の3つの記録破りのワールド・ツアーに同行した。29歳の時、彼女は完全に無名の状態から、キング・オブ・ポップに引き抜かれた。彼女は、12歳の時に自分の母親に将来プロのギタリストになると宣言しておきながらも、ジャクソンのツアーに参加する以前は、彼女のツアー経験といえば、エルヴィスのそっくりさんとのつまらない仕事だけといっても過言ではなかった。 「私たちはアメリカ領サモアとか、あちこち行って演奏したわ」と、彼女は笑う。「その島で宣教師をしてた兄弟が彼にいて、それで彼はギグを企画した。あと、私たちはコロラドで別の仕事もやったんだけど、それはそこにも彼の兄弟がいたからだったの。そういうこと」。 BBキングやブラウニー・マギーといったブルースの伝説たちにインスパイアされて、バトゥンは若干8歳でギターを弾き始めた。若き女性として、彼女はロサンゼルスのMUSICIANS INSTITUTE(=LAの音楽学校)に入学した。 「60人の男のなかで、女は私一人だった」と彼女は言う。「そのことは問題なかったわ。私はバスルームに練習しに行ったわ、そこだと自然なリヴァーブが得られるし、邪魔されないって知ってたから」 BADツアーのオーディション エルヴィス・ギグの後、彼女は数年間、サン・ディエゴに住んで、カバー・バンドで演奏していた。しかしすぐに落ち着かなくなり、彼女は突如、ミュージック・シーンでの成功を求めて、ロサンゼルスに引っ越した。彼女が母校であるMUSICIANS INSTITUTEでの教職におさまるまでに、長くはかからなかった、そして、そこでのことだった──1987年の、運命のある日──マイケル・ジャクソンの代理人が、ミュージシャンたちに、ツアーのオーディションに参加するよう依頼する電話をかけてきたのは。 「彼らは100人くらいの人数をオーディションしていたから、すごく張り詰めていたわ」と、彼女は回想する。「私が行くと、そこにはビデオ・カメラだけがあって、バンドは無し。私に与えられた案内は、何かファンク・リズムのものをプレイすることだったから、私はそうしたの、それで私は『Beat It』のソロ・パートをやり遂げた、なぜかというと、私はカバー・バンドで何年もの間、それを演奏してきていたから。究極的には、それで私はギグに参加することになったのね」。 1987年のジャクソンのBADツアーでの彼女の地位を勝ち得たことは、彼女の生活を一変させたのだという。「まるで有給休暇。私はずっとほとんど週に7晩、教えたりギグしたりしていて、それがもう突然、私は世界最大のツアーにいて、10倍の稼ぎがある、しかも週に2日か3日働くだけで、なのよ!」 BADツアー、リハーサル ほとんど間髪を入れずにリハーサルが始まり、彼らは懲らしめられた; 週に7日、濃密な2ヶ月間だった。最初の1ヶ月間、バンド、シンガー、ダンサーたちは、別々にリハーサルを行った。2ヶ月目に、彼らはプロダクション・スタジオに集められ、そこでショーのすべての要素が一緒になった。バトゥンが初めてマイケル・ジャクソンに会ったのは、その時だった。 「もしも彼が音楽を気に入れば、彼は踊り出すだろうと聞いていたんだけど、彼はドアをくぐって歩いてくるなり、そうしたの。私たちはストップして、そして彼と初対面の人たちが彼に紹介された。彼のマネージャーのフランク・ディレオが、ポニーテールと葉巻で入って来たのを覚えてるわ。あの二人が一緒にいるのを見るのは、なんていうか、超現実的だった。近くで見るマイケルがゴージャスだったことだけは思い出すわ。彼はホントに美しかった。 彼はとても実践的だったし、彼は極度にハード・ワーカーだった。リハーサルの終盤には、私たちは1日で丸々全部のショーを通しでやったり、時には2回やった。私が彼から学んだ一番のことは、これだと言うでしょうね: たくさん熱心に行ったリハーサルの価値、なぜなら、私たちがいざステージに立つ時までに、全員がリラックスしていたから」。 Part.2 に続く |
BADツアーのリハーサル
こちらも拝見させていただきました☆ やはりマイケルは昔はがっつりゲネプロ(通し稽古)をしてたのですね。 TIIを見て、あの時期にゲネプロをしてないのは かなりきつかっただろうなあと思っていました。 TIIで熱狂してくれる人が増えたのは嬉しいけれど、「マイケルのきれいなところ」だけ見たい人は すぐ飽きてしまうのでしょうね。 BOOK OFFにずらりと並ぶTIIはあまり見たくないですね(笑) 無題
ジェニファーさんはダーティダイアナでもいましたよね。(ムーンウォーカーで)多分 |
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