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Part.1 からの続き Part.2
BADツアー オープニングの東京公演は、彼女いわく、「とても、とてもエキサイティング」だった。 「私はそれまで、そんなに多くの人々を前に演奏したことは無かった。道中、マイケルはそれをさらに上のレベルに引き上げた。つまり、彼は最後のリハーサルを終えてどっちみち満タンだったけど、自分のことを夢中で見に来る人々が待ってる、と思うことで、さらに追加で興奮していたの・・・ステージの上で感じられたわ、あり余るほど火がついていて、全員がベストを尽くそう、110%を出し切ろうとしていたわ」。 >> 続きを読む >>
しかし出発してまもなく、バトゥンは、マイケル・ジャクソンと働くということの、より邪悪な面を知ることとなる。「はじめの頃に、『NATIONAL ENQUIRER』(=アメリカのゴシップ紙、代表的なタブロイドの一つ)に喋れば大金を稼げると言って私に近づいてきた人がいたわ」と、彼女は明かす。「私はただ、ぎょっとしたわ。『異常だ』と思ったの、わかるでしょ?私はそのグレイトなギグに入ったばかりだった。どうしてそれをそんなことでぶち壊しにするっていうの?そんなことは、本当に邪悪なことに見えたわ」。
マイケル・ジャクソンの孤独 バトゥンは、彼女いわく名声のために囚われの身となっていたジャクソンを気の毒に思うようになっていった。 「彼は、行きたい場所どこへ行くにも、セキュリティを警戒態勢にしたり、あらかじめ計画を練らなければいけなかった。彼がお店に行きたいと思えば、連絡をして、彼のために閉店にしてもらわなければいけなかった。彼は、ホテルの部屋の囚人だったわ、本当に」。 ジャクソンはこれに埋め合わせをして、彼女いわく、彼自身やその取り巻きたちを、特別な遠足でもてなした。時々彼は、テーマ・パークを一般には閉園にさせて、彼や彼のチームが追い回されることなく楽しめるようにした。 「彼は東京ディズニーランドで初めてそれをやったの。ただもう信じられなかったわ。私たちはローラー・コースターの乗り物に乗ったものよ、終わると、彼らはこう聞くの、『もう一度行きたいですか?』 私たちは、とても、とても甘やかされたわね」。 BADツアー後 BADツアーは1989年1月に終わり、グループは解体された。後年、シェリル・クロウ──そのツアーでバッキング・シンガーだった──は、彼女自身の作品を宣伝するインタビューのなかで、ジャクソンを中傷する発言をいくつか行っている。彼女は、彼はディーヴァ(=歌姫、女王様などの意味)で、わざわざ人の名前を覚えたりしないのだと言った。 バトゥンはこう反論する。「歌手っていうのは一般的に、いかれてて超繊細、っていうものだと思うわ。ある夜、マイケルは、シェリルのことを『ジェニファー』と呼んだの」と、彼女はくすくす笑う、「彼女からすれば、勘弁して、って感じだったでしょうね。でも、だから何?って感じよ。つまり、世界最大のギグに参加していて、自分と一緒に誰がステージに立っているのか、マイケルが気がついていないわけではないわ。私たちは1年半の間、腐るほど彼と一緒にいたのよ」。 BADツアーが終わると、ジャクソンはアルバム『デンジャラス』制作のためにスタジオに引きこもった。バトゥンはこの機に乗じて、ジャクソンが与えてくれた露出をフル活用し、彼女自身のデビュー・アルバムの制作を始めた。 スティーヴィー・ワンダーの同窓生、マイケル・センベロのプロデュースで、『Above, Below and Beyond』は、1992年にリリースとなった。 デンジャラス・ツアー 同じ年、バトゥンはジャクソンのデンジャラス・ツアーで働くために呼び戻され、それは彼女のソロ作品の売り込みには完璧なプラットフォームでもあった。 彼の外見や健康状態について広められていた議論をよそに、バトゥンは言う、ジャクソンは「あの、変わらぬマイケル」に見えた、たとえわずかに疲労が増していたとしても。 「彼はより忙しくなっているのに気がついたし、ある時、彼はリハーサルにやって来て、ここ数日の間そこにいられなかったことをただ謝っていたのを覚えてる。彼はこう言ったわ、『ミーティングの嵐なんだ』、そして彼は感情を込めてただ繰り返したわ、『ミーティング後の、ミーティング後の、ミーティング』。」 ジャクソンの過密スケジュールにより、「彼のリハーサル時間は限られている」という決定が下り、それは、セット・リストの大半が単純にBADツアーから持ち越されるということを意味した。これは、「がっかりしたというか」とバトゥン、なぜなら、「私たちはみんな、新曲をプレイしたかった」からだという。数少ない新曲の一つ──『リメンバー・ザ・タイム』──は、衣装の問題の後、ショーから外された。 「エジプト風コスチュームで、男性ダンサーたちはこの、スカートっぽいものを着ていた。私たちが最初にそれを演奏した時、ダンサーの一人のコスチュームが脱げ落ちてしまったわ」と、彼女は笑う。「ちょっとばかり、マイケルを不安にさせるものだったわね」。 衣装の問題は、リハーサルだけに限られたわけではなかった。ツアー中、バトゥンは毎晩、巨大な光ファイバーのヘッド・ドレスを着けて登場した。「『Beat It』の終わりで、みんなステージ上を走り出ていくの」と彼女は回想する。「つねに私は全速力で走っていて、誰かが私の光ファイバーのケーブルを踏むの──私は頭を強打していたようなものよ。障害物みたいなもの」。 どのショーでも最後に、ジャクソンはジェット・パックで観客たちの頭上に浮きながらステージから去る。 「彼は、地上最大のショーを出現させたかったの」とバトゥン。「彼はそれを、人々にとってクリスマスみたいにしたかった。彼の想像力は、クリエイティヴな竜巻みたいだった。彼は自分の見果てぬ夢を追いかけていて、それを実行するために人々を雇った。その一部として参加したことは本当にアメイジングだったわ」。 Part.3 に続く |
無題
こんばんは。 ジェニファー、音も人柄も最高ですね! いつも感慨深いマイケルの記事をありがとうございます。 ジェニファー!
ジェニファーは本当に・・・カッコいいですよね!
コメントありがとうございます
| 管理人 | 【2010/03/27 01:07】 TOP▲
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