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| | 【2024/04/20 18:49 】 TOP▲
ギタリスト、ジェニファー・バトゥンのインタビュー。Part.3
Part.2 からの続き Part.3


スーパー・ボウル・パフォーマンス

1993年1月、バトゥンはジャクソンに同行して、彼の伝説のスーパー・ボウル・パフォーマンスを行い、1億5000万人の人々がそれを視聴した。

「教えてあげるわ、マイケルがナーバスになっているのを私が見たのは、唯一その時だけだった。生放送だったし、フィールドのなかのステージ上に出るための時間は、2,3のコマーシャルの間しかなかった。こんなシーンもあったわね、私はマイケルとステージの端にいて、ものすごい煙が出てきていて、二人ともしばらくお互いを見失ったりね、でも、それがライヴ・ギグの美しい所。何が起こるかわからない。私のお気に入りの時の一つね、1度限りの特別な出来事で、二度と同じことは繰り返さないものだったから」。

1993年、スーパー・ボウル
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少年虐待の申し立て

スーパー・ボウルの後、デンジャラス・ツアーのセカンド・レグまでには長い休止期間があった。バトゥンは心配で落ち着かず、自身のプロジェクトの続行を放置していた。ジャクソンに対して少年虐待の申し立てが浴びせられたのは、セカンド・レグの最中だった。

「私はそれが恐喝事件だと見当がついたし、今でもそうだと見ているわ」と、彼女は淡々と話す。「誰もが彼のことを心配していた。彼がものすごく攻撃されて、ものすごく不当だったことは、私たち全員を痛めつけることだと思う。多くのアーティストたちは繊細で、彼は才能があった分その10倍よ、だから超・繊細だった、そしてそういう種のつるし上げを食らうことは・・・つまり、彼の歌詞を聞けば分かるわ。本当に妨害だった、だってあなたも思うでしょ、もしも人々が彼に対してあんなふうに攻撃していなかったとしたら、彼はどんな音楽を追いかけ続けていたんだろう、と」。

メディアは、バトゥンいわく、1993年の申し立ての報道に関して、多くの釈明を行っている。

「正直なところ、メディアの間では、マイケルの側につくことは、『クールではない』と考えられてきたんだと思う。勇敢な強者でなければ、そう行動することができなかった、本当に悲しいことだわ。本当に痛ましい。2005年の裁判でさえ・・・私は法廷の内側にいた人たちを知っているし、彼らは夜にはニュースを見ていた、そしてそれはすべて完全に嘘だった」。

ヒストリー・ツアー

その件は1994年1月に終結とされ、ジャクソンはアルバム『HISTORY』制作に取り掛かった。1996年、バトゥンはヒストリー・ツアーに参加するよう連れ戻されたのだが、それは「すごくギリギリのタイミング」だったと彼女は回想する。

Jennifer Batten「リハーサルを始めることになっていた1週間前に私は雇われたの、本当にハチャメチャだったわね。ホントにいかれてた。私はいくつかの仕事をキャンセルしなくちゃいけなかった」。

そのツアーは、バトゥンにとってはさらなる衣装の問題をもたらした、彼女はあの黒のラテックスの扮装を「すごく不快な」と表現する。
Jennifer Batten
「私が着けなきゃならなかったあのマスクは実に、うっ・・・恐ろしい。誰かがマイケルに、SMっぽいものをベースにした美術本を見せていたの、で、その絵は本当に美しく見えた。それで、彼の頭の中にはそのイメージがあったんだけど、それがいざ現実のものとなると、もう美しいなんて言ってられなかったわ」と彼女は笑う。「私はただ、自分に言い聞かせなくちゃいけなかった、すべては劇的効果のためなんだ、ってね。音楽のことだけではなくてね」。

確かに、一部のファンの間では、演劇的な面に重点が置かれ過ぎていて音楽の面が十分でない、どのコンサートでも口パクが目立っている、という批評も引き起こした。

ファンたちの解釈は、小さなこぶから咽頭炎まで幅広かったが、バトゥンは口パクの話題には深入りしようとしない一方で、ジャクソンが咽喉の問題で苦しんでいたといういかなる話も聞いたことが無いと言う。

「実際、」と彼女は付け加える、「毎晩、彼はヴォーカル・コーチと一緒にウォーミング・アップをしていたものよ。彼の楽屋から、彼がアルペジオをやっているのが聴こえてきたわ」。

子どもたちを伴ったマイケルのステージへの登場

マイケル・ジャクソン、ヒール・ザ・ワールド当初、バトゥンは、若い子どもたちに両脇を囲まれて毎回のコンサートを締めくくるというジャクソンの決断に、危機感を募らせていたのだと言う。
「ショーの終わりで、彼は小さな男の子や小さな女の子と一緒にエレベーターでステージの中へ消え下りて行ったものよ。私は最初、『あぁ、あんな騒動があるんだから、彼はそんなことしなければいいのに、と人は思うだろうに』と考えた。でも、それからこう思ったの、『あのねぇ、彼は何ひとつ悪いことはやっていない、なのに一体どうして、彼は自分の生き方を変えるべきだと?』 あれは、彼への非難に対して、ちょっとばかり中指を立てる(=F*** you! くたばれ!のジェスチャー)という感じのものだったと思う」。

ヒストリー・ツアーは1997年の夏まで続き、そしてその二人の仕事上の関係は終止符を打つことになったが、バトゥンは、彼が自分を呼び戻さなかったことに失望したことは一度も無いと言う。

「私は自分自身のキャリアを出発したところだった。もしも彼が電話をくれればグレイト、で、もし彼がくれなかったとしても、それはそれでグレイト。いずれにしろ、彼と一緒だったことは、ずっとグレイトだったもの」。

Part.4 に続く 
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