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| | 【2024/04/26 09:58 】 TOP▲
~マキシシングル図鑑~ 叫びたくなっちゃうんダッ!ポゥ!の巻
マイケル・ジャクソン、ジャネット・ジャクソンキッズ諸君、夏休みの自由研究は順調に進んでる? 大人諸君、盆も普通に仕事でも、めげずに頑張ろう。
さぁ、このブログも、マキシシングル研究第2章、いよいよもう一つのビッグな波に突進です 歴史を作らなきゃ・・・

さっそく、MJのカッコいいディスクを眺めながら、ウンチクをスタート・・・ではなくて、その前に今日も、ぐだぐだと思い出話です。
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HISTORY』のディスク2のいくつかの曲はしばしば、良くも悪くもこう評論されます──赤裸々で、あまりにも個人的な内容の歌だ、と。たしかに、他のどのアルバムよりも、『HISTORY』では、マイケルの個人的な感情や、現実生活からのダイレクトな影響が歌われています。

というわけで、アルバム制作をしていた時期に、マイケルのまわりでは何が起こっていたか、マイケル自身は何を感じていただろうか、また、マイケルとは地球の反対側にいたとしても、ファンたちは・キッズたちは当時、リアルタイムで何を感じていただろうか、という話は、それぞれの歌を理解するために、無駄にはならないだろうと思います。

アルバム『DANGEROUS』から、次のアルバム『HISTORY』リリース(95年6月)までは、およそ3年半の開きがあります。『DANGEROUS』のプロジェクトが一段落して、マイケルは結婚という大きな人生の節目を迎えつつ、新たなプロジェクトのためにスタジオに戻っていきます。ファンもメディアも、話題がなくて退屈? ノー! たとえマイケル自身がどんなにおとなしく過ごしていても、メディア上から彼のゴシップが途絶えることはなく、それは、凄まじいハードワークの賜物でもあり、そして高過ぎる有名税の犠牲でもありました。

前回まで、シングルCDを眺めながら、93年勃発の悪意の攻撃心身の限界を超えてクラッシュしてしまったデンジャラス・ツアー治療を受けるため雲隠れ何とか元気になってネヴァーランドに帰宅、生放送で潔白を訴える94年1月のNAACPアワード、まで回想してきました。その後は、公の舞台では、主にどんな出来事があったか、いくつかみてみましょう。



94年2月 米TV特番 「The Jackson Family Honors」(ジャクソン・ファミリーの栄誉)
・・・ジャクソン一家、モータウンの面々勢ぞろいの賑やかなステージ・ショー。マイケルも上機嫌だったが、マイケル・ジャクソンとしてのパフォーマンスが含まれなかったことに対して、批評家や一部のファンから「歌わないマイケルに視聴者は関心はない」と、手厳しい批判を受けた。

4月 英TV BBC2 「The Hunt For Michael Jackson」(マイケル・ジャクソン狩り)
・・・金のためなら何でもやる、タブロイド記者や「やらせ証言者」「プロの工作員」の動物的野蛮さ・強欲さに迫るドキュメンタリー番組。

5月 リサ・マリーと結婚。式はドミニカ共和国で極秘に行われ、かかった時間は20分。7月あたりから嗅ぎつけたメディアが大騒ぎを始め、一般への公式声明発表は8月。

9月 MTV VMAオープニングに、MJ、リサと手をつないで登場。突然の熱い抱擁とキスで、人々を驚かせる。『EBONY』誌10月号の表紙も2人で飾る。

11月 雑誌『GQ』 「Was Michael Jackson Framed ?」(マイケルははめられたのか?)
・・・93年勃発の少年虐待の申し立てについての独自取材。少年の悪意ある父親の陰謀を詳細に検証、「逆恨みと金銭目的のための不当な攻撃」と結論。



この間、マイケル本人は、スタジオで曲作りに集中しつつも、たまに変装して近所のお店屋さんに出没したり、リサと病院訪問などを行って子どもたちを励ましたり、命を救ったり、リサやその連れ子たちと楽しく遊園地やあちこちぶらついたり、賞を受けたり、エイドリアン・グラントやラッキーなファン代表がやって来たり、2年前にMJに戴冠したアフリカの本物の王様と再会して何日か過ごしたり・・・この新婚キングは、精力的に活動し、タフに、そして意外にも(!?)幸せに過ごしていました。実際の自分とは何ら関わりのない殺伐としたゴシップ戦争と、水面下での法廷闘争(少年の件以外にも、色々な訴えが絶えず起こされていた)を横目に見ながら。
マイケル・ジャクソン、リサ・マリー
マイケル・ジャクソンが、幸せ・・・? ノー、そんな事実、絶対に許せない。マイケルの表情が、ラブラブで活き活きと輝けば輝くほど、ある種の人たちの嫉妬心が、猛烈に燃え上がりました──片方はキング・オブ・ロックンロールの愛娘で白人、もう片方はそのキングの記録を打ち破った「白い」黒人で、あれやこれやの奇妙な疑惑をトラック30台分くらい背負わされてる。どちらも、宇宙規模の大金持ちで、若く美しく、愛し合っててめでたく結婚、ファンはますます結束し、CDもますます売れてキャリアも絶好調・・・そんな話は、何が何でも、絶対に許せない、というわけ。

とりあえずは「マイケル・ジャクソンの結婚」を、ひいては「マイケル・ジャクソンそのもの」を「ぶっ壊す」ことを欲して、目に見えない大きな力が働き、陰険かつ強烈な、ものすごい嫌がらせが噴出していました。

当時、私は中学生で、お小遣いは月1000円くらいにアップしていたかな。マイケルの新作を楽しみに待ちながら、マイケルの似顔絵を描いたり、図書館でマイケルの自伝を読んだり、歌詞やメロディを分析したり、「バックルや金属片みたいなモノがいっぱいついたカッコいいジャケットは一体どこを探したら買えるだろうか」と、真剣に考えたりしていました。Ha!!

今でも覚えているのですが、当時の日本の若者向けの音楽雑誌で、この結婚に関して、中学生でもすぐに嘘だと見破れる、実に低レベルで下品なゴシップ、ノー、ゴシップ以下の正真正銘ウコな記事を目にした経験があります。内容は引用しないよ!とにかく、こんなゴミくずが中学生の目に触れるのはただただ悲しいことだ、と思ったし、本当に下らない、と呆れ、しまいには、敵だと思っていた名もなきライターのことを、なんだかかわいそうにさえ感じました。「こんな記事を書かざるをえないライターは、生活によほど困っているのだろうか?だとすれば、Sorry, 気の毒だけど、この雑誌の廃刊は遠くはないだろうな・・・」

その手のゴミ記事は、大量の嘘と悪意の、軽めの一例にしか過ぎません。ありとあらゆる侮辱的な言葉が使われ、事実は捻じ曲げられ、合成写真・合成映像・ニセモノの目撃証言・わざと誤解を与えるキャプション、とにかく思いつく限りの、ものすごい嫌がらせや嘘の競争。しかも、責任を誰も取らない。徐々に輪郭をハッキリさせてきたのは、マイケル・ジャクソンとは似ても似つかない別人で、ご丁寧に別の名前をちゃんと持ってる、その名も「WACKO JACKO」氏でした。80年代イギリス生まれの彼は、ある時は小児性愛者、またある時は同性愛者、でも気まぐれでずる賢い大金持ちだから、女性との結婚を金で買うこともあるのだそうだ。気持ち悪い大ヘンタイ、なのに人々は彼に興味津々、なぜなら彼は人間でさえなく、奇妙奇天烈な生態を持つ「珍しい動物」で、生死を問わず撮影できれば一攫千金、だから、タブロイドと呼ばれる下劣な印刷物も、彼と、買い手の存在により正当化されるのだという・・・・・・

はぁ・・・うんざり。

こんな文章を、こうやってここに書くのも情けない気持ちになりますが、当時、実際に起きていた現象の方が、もっとはるかに低俗で残酷でした。そういうものからのダメージを、中学生の私などは、真に受けて悲しんだり怒ったりしていましたが、今考えてみると、マイケル・ジャクソン本人は、逆に、あまり相手にしていなかったと思います。そもそも相手にするヒマもなかっただろうし、なぜなら、他に考えることが山ほどあって、世界の平和とか子どもたちの苦境の方が、彼にとってはよっぽど重要な問題だったし、自身のキャリアや芸術への情熱もみなぎっていて、レコード会社も前代未聞のスケールのPRを準備していました。「史上最大の○○」というようなプロジェクトが、目前にたくさん控えていたマイケルなのです。ワコだか雑魚だか知らないけれど、構ってるヒマはない。ましてや裁判ショーに付き合うほどのお人好しだと思ったら大間違い。彼には、もっと大事な仕事が、使命がありました。

ともかく──大好きな「マイケル・ジャクソン」にまとわりつくように、まったくの別人・妄想の産物の「怪人ワッコー」が我が物顔でうろつき回って、奇行を連発しながら無許可で金儲けをしている状況というのは、ファンにとっては実にいまいましいものでした。

とはいえ、そんなくさくさした暗い気分も、95年5月に、ガツンとキックを食らって終了です。妄想産物ワッコー氏、彼は人の弱い心に巣くうゾンビみたいなヤツだから、完全に息の根を止めるのは難しいのですが、根が卑怯なので、分が悪いと見るとこそこそとあっさり退散・・・・・・イエス、95年5月、いよいよマイケル・ジャクソン、新作のリリースです

f5a96e95.jpgHISTORY』でSONYが行った一連のプロモーションは、おそらく後にも先にも例のない、とんでもない規模のものでした。世界中で宣伝用に作られた、巨大「マイケル像」──CGではなく──を覚えている人も多いと思います。
(画像右; ロンドン、テムズ川を「行進中」のMJ像。同様の像が、世界各都市で作られ、大規模な宣伝が行われた。ちなみに、あくまでも宣伝用に作られた像なので、造形クオリティはかなり微妙。PR戦略が終了した後、取り壊されたり、いくつかの像は放置されボロボロの状態をさらしていたが、最近になって有志の人たちの手によりキレイに蘇ったものもある。)

ファンの中にさえ、何もかもド派手で大仰なああいったPR手法に、「おいおい・・・」と、若干引き気味な人もいましたし、もともとマイケルを嫌う人たちの中からは、「あんなバカバカしいほどの過剰プロモーションで自画自賛をやらないと、もうマイケルのCDは売れないのかねぇ」と揶揄する声も聞かれました。

でも、その程度の批判や議論は、マイケルの巨大プロジェクトにとっては、むしろファンファーレの一部でした。 人格や私生活に対する不当な攻撃ではなく、作品に対する批判や議論なら、たとえ悪評であっても、話題になることそのものが、とても愉快なことだったのです。

全世界のMJファンの中で、最も小心者の一人であった私は、「注目の新曲が、宣伝負けするようなしょぼい曲だったらどうしよう・・・」と、心の奥底で、ちょびーっとは心配していたかもしれませんが(なんという余計なお世話でしょうか!)、ラジオ・テレビでの新曲のオンエア解禁によって、すべての無駄な心配はキレイさっぱり吹き飛んでしまいました。

ニュー・アルバムからの先行シングル、ジャネットとのデュエット、『SCREAM』を、私たちが初めて耳にした時の気持ちといったら──

Aaaaaaaah・・・

ショックを受けて、圧倒されてただただビックリ仰天、私はその場でしばらく石化硬直 本当です(笑)。

我に返って、オゥマイガッ、何これ、もう1回聴かなくちゃ!信じられない、すごいサウンドを聴いちゃった気がする、もう1回聴いてみないと・・・!!!
(資料を見返すと、イギリスのいくつかのラジオ局では、この曲の放送解禁直後に、すぐにリスナーからリクエストが殺到、1番組の中で、2回流さなくてはいけなくなったほどだとか。また、ブリストルのとあるDJは、興奮のあまり、丸々1時間ずっとこの1曲を流し続けたのだそうだ!)

あまりのかっこよさにビックリし過ぎて思わず笑顔になったし、歌詞の内容にも10000%共感して、うまく説明できないけど、怒りながらも「勝った」と思いました。たぶんそれはジャネットのおかげでもあるでしょう。マイケルの、新しい歴史の幕開けをビシバシと感じたし、ただただ嬉しく、もんどりうったり、ひっくり返ったりして、「わぁ・・・マイケル・ジャクソンの新曲だ」と狂喜。ちょっと前まで暗い気持ちだったり憤っていたりしたのを、コロッと忘れたように嬉しがって、自分でも気がつかないうちに、そのリード・シングル曲のマキシCDを、なんと、4枚も買ってしまったらしい・・・!

マイケル・ジャクソン、ジャネット・ジャクソンぶふふ、アホな中学生だ!小遣い月に1000円の分際で、4枚も買って、この先どうするつもりなのでしょうか!(笑)
オーライ、オーケイ、何とでも言いたまえ

次回、嬉しがりながらも、ジャネットの強烈キックに怒りを込めて、その4枚からスタートです──
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| マキシシングル図鑑 | コメント(0) | トラックバック() | 【2010/08/08 23:20 】 TOP▲
SCREAM / CHILDHOOD (1/2) ~マキシシングル図鑑~ホームビッグ・アフロ・ジャクソンズ、70年代、PIRスタジオにて。
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