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90年代後半になると、インターネットの普及によって、新しい情報発信、ファン交流の場などは徐々にウェブサイトに移っていくことになり、紙のOtW誌はその役割を終えました。しかし、UKのファンサイトでは現在でもネット上にOtW誌のバックナンバーがアーカイブとして紹介されており、この時代の空気を知る資料として貴重な面があります。
92年秋号の#18の表紙は、デンジャラス・ツアー登場シーンの毅然と立つマイケル、コピーは「優勝者にはMJ体験チケット!!!」「折込み特大ポスター付」「マイケル、ヨーロッパ上陸・・・」 発行人であり編集者であったエイドリアン・グラントの、「マイケル好き好き!」という創刊からのスタンスは、今でもずっと変わりません。OtW誌も、無邪気に「マイケルのこんなところが好き!」「マイケルのツアー、行くっきゃない!」「マイケルのレアグッズを手に入れよう!」「○月○日、ファンデー開催!みんなマイケルの格好で来てね!優勝者はなんとネバーランドにご招待!」的な、無邪気なファンの興奮が満載で、間に唐突にマイケルのグラビアがぽこっと入っている、というような、ただただ楽しいばかりの紙面構成でした、ある時期までは。 (右: 特に何の説明も無く、記事との関連も無く、ぽこっと挿入されたグラビアの一例。Wow, マイク!なんてクレイジーな柄シャツ(パジャマ?)なんだ!!) 93年になると、一転して紙面はシリアスな話題が多くなります。93年夏号#22には、日本人にはおよそ聞き慣れない「Vitiligo」(=病理用語、白斑)の見出しが並びます。オプラ・ウィンフリーのインタビュー特番でのマイケルの告白を受けて、外国でも当時あまり詳しく知られていなかった症状について解説しています。 (白斑以外の点でも、賛否両論渦巻いたオプラ特番より。「楽しかったね!もう1回する?」)
「マイケルのインタビュー以前に、あなたは Vitiligo という言葉を聞いたことがあっただろうか?」と、OtWは書いています。イギリスには、この症状と戦う人たちの団体、Vitiligo Society が1985年に創設され、93年当時でメンバーは2000人ということです。メディアでキチンと取り上げられる機会も少なく、病気そのもので苦しむ以上に、誤解と偏見に苦しめられることが多いこの珍しい症状を抱える人たちの言葉が掲載されています。マイケル自身は、この病気のスポークスマンになるつもりがあったわけではありません。大声で自分に同情を集めるようなやり方は、マイケルの好むところではありませんでした。しかし、マイケル・ジャクソンというスーパースターが、この理解され難い症状について率直に告白したこと、そして、肌の色がどんなであろうが、カッコよさも人間性も何ら変わることはない、というそのことが、同じ悩みを持つ多くの人たちに、大きな勇気を与えた、と書かれています。 子どもの丁寧な字で書かれた、1通の手紙が掲載されています。 「ディア・マイケル あなたの白斑のこと、気の毒に思います、私も同じだからです。 私は10月5日で10才になります。白斑になったのは5才の時です。友達がよく私をからかいました、でも今は大丈夫です。あなたの友達も、からかいましたか? はじめのうちはどんなに大変か、あなたも知っていますよね。 私は特別な(原:speshell、スペシャルの誤字?)クリームを見つけました、ウォータープルーフで、ROC(パリの薬局生れのスキンケアブランド)製です。 あなたもこれを使っているのかな。これは白かブラウンになります。 有名な人によって、これが普通の人に知られるようになって、良いことだと思います。 あなたはとっても忙しいって知ってます。でも、いつかあなたの話を聞いてみたいな。 Love from ジェシカ、xxxxx(キスマーク)」 93年秋号#23は、マイケルにとって、ファンにとって、ますます大変な試練の時となります──貴重な資料が多いので、次回ももう少し、OtW誌の紹介を。 |
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