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| | 【2017/07/23 23:48 】 TOP▲
90年代マイケル専門雑誌、『オフ・ザ・ウォール・マガジン』。Part.3
マイケルとレイ・チャールズ。
(「レイ、顔の前の髪のせいでよく見えないよ」「心配無用、俺も見えないよ、マイケル」)

引き続き、古い話で恐縮です。
ネットの無い時代に、海の向こうからマイケルの素晴らしさを存分に伝えてくれたUKの雑誌『オフ・ザ・ウォール』。この雑誌を愛読していたファンにとって、90年代前半、OtW誌のマイケル・ワールドは、ただ単に愛と夢と希望と冒険を与えてくれたワンダフルな誌面のネバーランドであっただけでなく、現実のシリアスな問題を度々考えさせられるキッカケとなりました。

93年秋号の#23、最初のページの編集者グロリアの挨拶文はこう始まります。

「ハイ!世界一のエンターテイナーMJ公認の、唯一のインターナショナルMJ雑誌OtWへようこそ!

マイケル、そして世界中のファンにとって、とても難しいこの時期、我々は、今号の形を少しばかり見直す決断を下しました。メディアから受け取る情報に、したくなくても注目せねばなりませんでしたし、もちろん、動揺し困惑した世界中のファンからの電話も鳴り止まず、今月の我々のいくつかの仕事が崩壊しました。ファンの多くが、我々に行動を起こすよう嘆願しました。マイケルのために何か出来ないか、彼に我々のサポートを示すことが出来ないか、と。・・・」

マイケルに対する「少年虐待疑惑」の第一波が襲い掛かった直後でした。

オフ・ザ・ウォール・マガジンオフ・ザ・ウォール・マガジン
(左;表紙 / 右;裏表紙までマイケルのバックショットというステキさ。)
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長年に渡りゴシップに揉まれてきたマイケルとはいえ、「少年に対するセクシャルな虐待」という完全な濡れ衣は、クリーンで模範的なマイケルの実像とはあまりにもかけ離れていたが故に、大変なインパクトがありました。

日本でも、マイケルの音楽を愛する人の間でさえ、「どうなることやら・・・」と、一抹の疑念が拭えなかった、そういう風潮になっていたことを思い出します。その証拠に、当時のマイケルの作品の日本盤に付いている、とあるライナーに、「今後どういう展開になるかは分からないけれど、もしもマイケルが仮にどんな変人であろうがなかろうが、マイケルの作品の素晴らしさを損なうことにはならない」というようなことが書いてあり、これはフォローになっているのかどうなのか・・・まぁ、そのライナーを書いた人は、情報が足りず、当時はきっと確信が持てなかったのでしょう。仮にマイケル本人がとんでもない変態だったとしても、作品だけは生き続ける、というようなニュアンスも、悲しいことにわずかに漂うのです。
もしも湯川れい子さんだったら、そんなあやふやな立ち位置では、絶対に書かなかっただろうと思います。そして、マイケルを知るすべての人が、マイケルの潔白を「願っていた」のではなく、「知って」いました。

もちろん、『OtWマガジン』も、当初からマイケルの潔白を1000%確信していました。
表紙には、「A VICTIM OF INNOCENCE - Fans pledge their love & support」(イノセンス(無罪、潔白、純真)の犠牲者、ファンは愛とサポートを誓う)の見出し。
記事の内容も、ただただ「マイケル、カッコいい!」と繰り返すものではなく、イギリス国内で起こったタブロイドに対する抗議デモの様子や、ファン以外の人も含めた街の声など、メディアの一端を成す雑誌として、マイケルをサポートしながらも公正な立場で真実を伝えようとしている姿勢が読み取れます。

マイケルこの身に覚えのない不当な告発を知ったマイケルは、大変なショックを受けたには違いありませんが、雑音をシャットアウトするかのように、ますます仕事に集中するようになります。そうでなくとも元々仕事に打ち込み過ぎる傾向がある上に、過酷なツアー日程のなかでステージでは毎回全力を出してしまう。過労と心労により、マイケルはぶっ倒れてしまい、世界を巡ったデンジャラス・ツアーは、予定を残して中断となってしまいます。

OtW誌のコラムのなかに、こうあります。
「Oh, アメリカ、アメリカよ、なぜいつも、国の宝を壊してしまわなければならないのですか?」

そして、マイケルに愛とサポートを示すためにファンが出来ることの一例として、ツアーへの協賛の意味を込めてペプシを買うこと(※)、マイケルのアルバムを買うこと、マイケルやエピックに手紙を書くこと、大手の新聞社やテレビ・ラジオ局に「真実を伝えるよう」求める投書をすること、イノセンスを信じる象徴としてネバーランドに1本の白いバラを贈ること、などを挙げています。
(※注・・・デンジャラス・ツアーの中断の後、80年代のペプシのCM撮影事故による後遺症の痛みと鎮痛薬中毒がマイケルを苦しめていることが知られるようになると、ファンの間では「ペプシ不買」の動きも活発になる。これにより、ペプシは一時パートナーシップの中断を発表、ライバル社のコーラの売り上げが急増した。)

(イギリスも、同じように邪悪な力によってダイアナ妃を永久に失うことになります。メディアや権力の圧力によって、魂の美しい人たちが標的にされ、壊され、挙句の果てに「追悼偽装本」が売れてまたしても儲かるという、こんなつまらない世界が一体いつまで続くのでしょうか。)

あちこち引っ掻き回されたものの当然証拠などはひとつも見つからず、この時の件は、結局訴訟には至りませんでした。マイケルは、一時体調を崩したものの、この試練を(そしてその後の幾多の試練を)乗り越えていきます。マイケルのイメージは傷ついたのでしょうか?そうとも言えます。もともとマイケルを知らない人から見ると、「なんか私生活ゴタゴタしてる人でしょ」という歪んだイメージがこのあたりから定着し始めたのかもしれません。しかし、マイケルのこと、あるいは、メディア構造や権力側の「いつものやり方」を知っている者から見れば、マイケル本人の名誉は本当は擦り傷程度も傷まなかった、ということも言えます。一例を挙げると、ビルボードはアルバム『デンジャラス』の売り上げ推移にこの騒動による悪い影響は見られなかったと分析しています。また、マイケル本人が行ったテレビでの生釈明声明の後の視聴者調査では、各局で78~88%が「マイケルは潔白だと思う」という結果でした。

OtW誌を読んでいた世界中のファンたちは、真実を知ることによってマイケルに対する疑いの心などまったく抱かずに済んだという意味で、この雑誌に感謝すべきかもしれません。フィクションの週刊誌などを鵜呑みにして、マイケルを変な目で見ていたとしたら、今ごろ申し訳なく一生後悔することになったんじゃないかと思います。

ともかく、マイケルの1993年というのは、今思うと大変な1年でした。スーパーボウル、グラミーレジェンドアウォード受賞といった華々しいスタートから、オプラのインタビュー特番、不当な疑惑、ツアーの中断、TVでの悲しい釈明。でも、1年の終わりは、リズのゴージャスな手作りクリスマス(『プライベート・ホーム・ムービーズ』参照)で締めくくっているわけで、困難の時にもやっぱりマイケルのまわりには、たくさんの愛とサポートが満ち溢れていたんだなぁ、そう思います。
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| レビュー/本、雑誌 | コメント(0) | トラックバック(0) | 【1993/09/12 16:59 】 TOP▲
雑誌『EBONY』、1994年10月号。どんなプロポーズを?ホーム90年代マイケル専門雑誌、『オフ・ザ・ウォール・マガジン』。Part.2
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