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| | 【2024/04/26 16:46 】 TOP▲
雑誌『EBONY』、2007年。スリラー25周年記念号。Part.4
 Part.3 からの続き Part.4


2007年、EBONY、マイケル・ジャクソン特集Michael: 僕はね、昔よくリビングに座って、父が流すレイ・チャールズを聞いていたという人間なんだよ。母は、朝の3時に僕を起こしたものさ、「マイケル!彼がテレビに出てるわよ!テレビに出てるわよ!」 僕がテレビに走っていくと、ジェームズ・ブラウンが出ていたものさ。僕は言った、「これこそ僕がやりたいことだ」。

EBONY: 今やあなたはもうすぐ50歳です。80歳になっても、こういうことをやっていると思う?

Michael: 正直に言うと、うーん、ノーだね。ジェームズ・ブラウンがやったような、あるいはジャッキー・ウィルソンがやったようなやり方ではノー、彼らは最後まで走り続けて、自ら命を縮めたんだ。僕の意見だけど、(ジェームズ・ブラウンは)スロー・ダウンして、もっとリラックスして、自分のハード・ワークをもっと長く楽しんでくれたら良かったのに、と思うよ。
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| 発言、インタビュー/テキスト | コメント(1) | トラックバック() | 【2007/11/01 00:40 】 TOP▲
2001年、『USA TODAY』紙のインタビュー。Part.1
2001年12月14日の『USA TODAY』紙に掲載されたインタビューです。プリンスくんを連れて来ています。

インタビュー前置き文として、マイケル側が「しょーもない話いつものセット(整形手術、少年虐待疑惑、家族関係・親権問題など)に関しては話すつもりはない、芸術性に焦点を絞ってインタビューを行うこと」という条件を出していることや、その話に踏み込もうとするとマイケルは黙ってしまい、モニタリングしているマネージャーが制止する様子などがくだくだと書かれています。いつものこと&冗長なので一部省略させて頂きます。



Michael in the mirror By Edna Gundersen  元記事

マイケル・ジャクソンからの最初の言葉は、包み隠さぬ予告の言葉のようだ。 
「僕の肌、ごめんね」と彼は言う。「皮膚科医の所に行っていたんだ。だから、見てないフリをしてね」
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| 発言、インタビュー/テキスト | コメント(0) | トラックバック() | 【2001/12/14 18:14 】 TOP▲
2001年、『USA TODAY』紙のインタビュー。Part.2
Part.1 からの続き Part.2


──ニューヨークでのコンサートは、あなたにとって12年ぶりのものでした。ナーバスになりましたか?

Michael: ノー。兄弟たちと再び一緒に戻って来られて光栄だったよ。プロデューサーは、さまざまな分野で努力する著名人たちのパレードにしたかったんだ。彼らに挨拶をしてもらって、僕はものすごく光栄だった。心温まる、ハッピーな、楽しい機会だったよ。

──兄弟たちとツアーすることは考えている?

Michael: それはないと思う。彼らと一緒にアルバム制作が出来たらいいなとは思うけれど、ツアーはない。彼らはツアーがやりたいだろうけど。でも僕は別のことを進めたいと思ってるし。肉体的に、ツアーはものすごく消耗するんだ。ステージの上にいる時というのは、2時間のマラソンのようなものだよ。僕は毎回ショーの前後に体重を量る、すると、優に10ポンドは減っている。ステージじゅうが汗だよ。それからホテルに着いて、アドレナリンが頂点に達しているから眠れない。そして次の日もショーをこなさなければいけない。タフだよ。
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| 発言、インタビュー/テキスト | コメント(0) | トラックバック() | 【2001/12/14 12:31 】 TOP▲
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