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| | 【2025/01/16 06:16 】 TOP▲
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雑誌『EBONY』の表紙を飾った、マイケルと、リサ・マリー・プレスリー・ジャクソン!
二人はこの年の5月、こっそりドミニカ共和国にて正式に結婚。この世紀のビッグ・カップルの結婚式にかかった時間は12分。見事にメディアの裏をかき、珍しく連中が情報を嗅ぎつけるまでけっこう時間がかかりました。二人が公式に結婚を発表したのは8月です。 (画像右: 94年9月12日、MTVアワードのオープニングにて、突然リサにキスするMJ。) >> 続きを読む >>
その後のプレスのバカ騒ぎ&悪質報道がどんなものだったかは、当時を知らない方でも容易に想像がつくと思います。私がこの当時実際に目にした日本の某音楽雑誌には、「マイケルは、少年愛疑惑をうやむやにするために、大急ぎでプレスリーの娘を買った」とか、「マイケルは、リサ・マリーとベッドを共にするのに1晩あたり50万ドル支払っているらしい」と、実際に書いてあって、これは当時中学生のミラでもさすがに「アホらし・・・」と、唖然として何か言う気にもなれませんでした。もちろん、そんな雑誌はミラは二度と手にしていませんし、たぶん、すでに廃刊になっているでしょう。
『EBONY』のインタビューは、この結婚が公になった後の、初の対面インタビュー。二人のプライバシーは大切、だけど、やっぱこれは誰だって聞きたいよね?マイク!いつどこで彼女と知り合ったの?なんて言ってプロポーズしたの!? 全世界の Boys and Girls!!! のろけるマイケルや美しいリサに嫉妬してはいけません。くすぐったがって下さい。 実は、マイケル現在36歳と、リサ・マリー26歳は、すでに20年前にラスベガスで出会っていたのである。彼は16歳、彼女は6歳だった。ジャクソン5は、1974年、ラスベガスのMGMグランド・ホテルのショーに出演していた。 Michael: 彼女のお父さんがよく彼女を連れて僕たちのショーを観に来ていたんだ。そこで僕たち9人は全員パフォームしていた。それは本当にファミリー・ショーでね──ラスベガスで、子どもが入場できる唯一のショーだったんだ。エルヴィスは娘のリサ・マリーをよく連れて来ていた。彼女はすぐ前のところに座っていて、ボディガードがその側についていたものさ。後で、彼女はバックステージに案内されて来て、僕らはそこで出会って、話をしたものだよ。こういうことがよくあったんだ。彼女は何度も何度も、何度もやって来た。重大事件だったね。それから後、しばらく僕は彼女とまったく会わなくなった。夜中にすれ違う飛行機みたいなもんだね──ハロー、そしてグッバイ、さ。 ──3年前、アルバム『デンジャラス』制作時期に、二人の関係は新たな局面に発展したのだという。 Michael: 僕たちは二人で一緒にちょっと出かけたりした。それから、二人で電話で話したり・・・僕は、僕たちが親密になってきてることに気がついたよ。僕たちは1993年(注・・・正確には94年はじめ)のラスベガスの『Jackson Family Honors』にも行った。後にはアトランタへ一緒に旅した、ジミー・カーター大統領の活動で、子どもたちを訪問したんだけど、僕と一緒にそこに彼女がいたことを知ってた人は誰もいないんだ。僕たちに関してブリリアントだったのは、僕たちはしょっちゅう一緒にいたのに、誰にもそのことを知られなかったことなんだ。僕たちは何年も、そういうふうにして会うようになった。僕たちは一緒にいてお互い物静かだったし、心地良かった。これが僕たちが付き合い始めたいきさつだよ。 ──マイケルが言うには、この期間が、「良い友達」から「恋人」に二人の関係が変わった時期なのだそうだ。感受性の強いアーティストであるマイケルのそういった感情、フィーリングは、曲作りにも影響する。『Remember The Time』や『Can't let her get away』の歌詞の中に、彼女からが与えたインスピレーションが見つけられるだろう。彼女はまた、たしかに、彼が必要とする時に彼をサポートした。1993年、マイケルが裁判沙汰に巻き込まれようとしていた時だ。 Michael: 僕はツアー中で、まるで、アルマゲドンの中みたいだったんだ──脳内アルマゲドンさ。あらゆる恐ろしいストーリーが、僕のまわりを駆け巡っていた。本当の話は皆無だった。信じられないほどだった。リサ・マリーが電話をくれたんだ。僕が本当の友達と呼べる人は片手で数えられるほどなんだ。彼女はずっといつも支えてくれた。本当に心に残ったよ。彼女は電話をくれて、泣いていた。彼女は怒っていたし、連中の首を絞めてやりたいってね。でも、本当に僕にとって印象深かったのは、LAの大地震の日──1993年6月28日なんだ。地震の日、僕の電話がやっとつながるようになった。僕は怖かったんだ──ほとんど頭の中は真っ白。僕は世界が終わったと思った。僕は彼女からの電話を受けたんだ。地震のすぐ後にね。 ──『デンジャラス』ツアーの中断の後、マイケルは痛み止め薬の中毒治療のため、しばらく公から身を隠す。この期間も、彼女のサポートはマイケルに深い印象を残した。 Michael: 彼女は電話をくれたんだけど、なかなか僕にはつながらなかった。彼女にとってはそれはとてもストレスだったんだ。僕はメッセージは全部受け取った。彼女はとても心配してくれていた。 ──これらの経験の後、彼はいよいよ、「Girl is mine」あるいは「The way you make me feel」のようなことを言わなければならない時が来ていると感じたという。マイケルは、自分のふたつのベスト・セリング・アルバムのこの言葉遊びにクスクス笑いながら、実際のところはこうだったと明かす。 Michael: 展開した、という感じ。僕たちはたくさんの時間を(ネヴァーランド・)ランチで過ごして、ただ歩いたり、話したりした。成り行きだよ!すべて自然に展開していったんだ。僕たちはお互いに相手をどう思っているか感じることが出来たんだ、そのことを話すまでもなく。すべてはバイブレーションとフィーリング、お互いの目を見つめることだったんだよ。 僕たちが一緒にレコーディングするんじゃないかというような話はすべて完全にデタラメな噂話だよ。僕たちが最も一緒にやりたいと思っていることは、世界中の子どもたちを中心としたことなんだ。僕は彼女ほど子どもたちを心配する人を見たことがないよ、僕自身と同じようにね。僕は子どもたちには感情を揺り動かされる。リサ・マリーもまったく同じなんだ。僕たちはどこへ行っても、子どもたちの病院を訪問する。僕の夢は、南アフリカやインドに行って、子どもたちを助けることなんだ。 1994年9月、MTV、VMAオープニング。結婚発表からそれほど経っていないこの時期、リサ・マリーはまだ場慣れしていない感じで表情が少しビビリ気味。MJはマイペースなのか計算なのか台本なのか・・・やってくれるぜマイク! 「おめでとう!」の雰囲気の会場、拍手で迎えられる二人。 Michael: ようこそ、MTV、ビデオ・ミュージック・アワードへ。ここに来られて幸せです。ただ──僕らが長続きすると思ってる人はいないんだろうね。 会場、どよめき苦笑。 マイケル、リサ・マリーにキス。会場、悲鳴まじりの歓声。 |
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