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2001年12月14日の『USA TODAY』紙に掲載されたインタビューです。プリンスくんを連れて来ています。
インタビュー前置き文として、マイケル側が「しょーもない話いつものセット(整形手術、少年虐待疑惑、家族関係・親権問題など)に関しては話すつもりはない、芸術性に焦点を絞ってインタビューを行うこと」という条件を出していることや、その話に踏み込もうとするとマイケルは黙ってしまい、モニタリングしているマネージャーが制止する様子などがくだくだと書かれています。いつものこと&冗長なので一部省略させて頂きます。 Michael in the mirror By Edna Gundersen ![]() マイケル・ジャクソンからの最初の言葉は、包み隠さぬ予告の言葉のようだ。 「僕の肌、ごめんね」と彼は言う。「皮膚科医の所に行っていたんだ。だから、見てないフリをしてね」 >> 続きを読む >>
それは従うのが難しい注文だ。エンターテインメントの世界で最も注目を集めるその姿を目の前にして、特に、公の中での変装や、カメラの前での濃い化粧といったことを含む数々の奇癖を持った人物を目の前にしては。今日のジャクソンは、飾り気のないわずかなメイクしかしていなかったが、比喩的な仮面が完全に落ちることは決してない。
(中略) 有名な友人たちについてジャクソンがノスタルジックな気持ちになった後に、一つの障害にぶつかる。 「フランク・シナトラはうちのすぐ近所に住んでいた。彼は毎日、僕らがバスケットボールするのを見に来た。それから、フレッド・アステアは(道の)カーブのあたりに住んでいた。僕は彼らと話す機会が持てたし、学んで、聴き入ったものさ。輝かしい時間だったよ。僕が16歳の時、僕たちはラスベガスで毎晩ショーをやっていて、エルヴィス(・プレスリー)やサミー・ディヴィス・ジュニアが僕や兄弟たちを並んで座らせて、レクチャーしてくれたものさ。『ドラッグは絶対にやるな』と彼らは僕たちに言ったよ。けっして忘れないよ。」 彼自身の鎮痛剤中毒の話を蒸し返されると、ジャクソンは黙ってしまった。エピック役員Steve EinczigとともにインタビューをモニターしていたマネージャーのTrudy Greenが、彼が返事をすることを妨げた。彼は10年近く前にテレビの声明で中毒とその後の処置について告白しているにもかかわらず。 (ミラ注・・・80年代のペプシCM事故で負ったひどい火傷以降、マイケルは鎮痛剤の副作用に悩まされていると報じられてきました。93年には過酷なツアーと虐待疑惑のストレスにより偏頭痛が悪化、鎮痛剤の中毒に陥り、ツアーを中断。その後治療を受け、回復後テレビで諸々の疑惑を含め、事実関係について声明を発表。) (中略) もしも彼が、個人的な領域についてのことを長く書くことに同意したならば、「それは丸ごとおとぎ話になっちゃうだろうね」と、彼は嘆く。 (中略) ジャクソンを一目見ようとする見物人でいっぱいのビバリーヒルズ・ホテルで、彼は道を開けられ素早くバンガローに押し込まれた。彼の顔は帽子とサングラス、黒のサージカル・マスクの下に隠されていた。彼は40分間、そこに「収まって」過ごした、グリーンがそうさせたように。 ようやく準備が整うと、ジャクソンは彼の訪問者を、握手と、シャイな笑顔と、自分の顔色に関する奇妙なコメントで迎えた。メイクは頬と顎のラインに限られているように見えた。眉は濃く整えられていて、深い茶色のまぶたは、アイ・シャドウかもしれないし、あるいは彼の元々の肌のトーンかもしれない。白斑、肌の色素を失うという特徴の自己免疫疾患が、彼の顔や手を白くさせてきた。彼の小さな鼻には絆創膏が貼られていた。彼は何も説明せず、その後の彼の肌の状態について質問は、すぐさまグリーンによって撃ち落とされた。 (ミラ注・・・同時期の別のインタビューで、マイケルは鼻の絆創膏を「鼻炎がひどくて・・・」と説明しています。) 背が高くスレンダー、ジャクソンは茶色のレザー・ジャケットに、赤のシャツ、ピンストライプのズボン、そして彼の特徴である白のソックスに黒のローファーといういでたちだ。プリンス、彼のダーク・ヘアは金髪にブリーチされている。彼はおそろいの靴と、ちびっ子警察の制服を着ている。おもちゃの手錠をベルト穴にぶら下げて完成だ。 「この鍵はちゃんと動くよ!」 彼はそう告げ、テーブルの側でお絵描きするのに戻っていく。 ソフトな照明のスイートで、ソファに腰掛け、ジャクソンはリラックスして落ち着いた様子だ、少し疲れているのかもしれない。彼は同業者を褒めることに関して寛大だ。彼は、彼のコピーキャット(人真似屋)たちにも喜ぶし、ジャクソンの気まぐれをパロディにしているビデオまでも含めて、Alien Ant Farmがカヴァーした『Smooth Criminal』が大好きだ。来るべき映画のプロジェクトの話題になると彼の瞳は輝く。特に、5月に監督・俳優のBryan Michael Stollerと共同監督するという映画のプランだ。彼は自分の地震恐怖症について笑い、威張る父親を思い返して暗くなった。そして、熱心におもちゃやテーマ・パークについて語り、彼の永遠の少年時代についての理論に重点を置く。 ジャクソンは自身の音楽的スキルにおける揺るぎない自信をはっきりと顔に出し、プレスの話の時だけ、ちらりと苛立ちを見せる。 (中略) 「僕が言っているのはすべて、世界を癒そう、子どもたちを救おう、ということだよ」、彼は言う。 ジャクソンはアグレッシブにメディアの注目を集めるが、それでもその軽蔑的な扱いや、演出された憶測には苛立たせられ続ける。それは、普段はソフトな口調のこのスターが怒ってしまう、イライラの種だ。 「一番ホームランを打つ男はいつも標的になるのさ」と彼は訴える。「それが人間だよ」 (中略) ──あなたに関する誤った記事に対してはどう反応を? Michael: 僕は少しも気にしない。ファンたちは、タブロイドのゴミは下らない、ということを知っている。彼らはいつも僕に言うんだ、「タブロイドを燃やしてしまおう」。人の人格を暗殺しようとするなんて、恐ろしいことだ。人々は僕の所に来て僕に会った後、泣き出すんだ。僕が「どうして泣いてるの?」と言うと、彼らはこう言う、「だって、私はあなたって高慢だろうなと思っていたのに、最高に良い人なんだもの」。僕は「誰がそんな判断を君に与えたの?」 彼らは僕に、読んだんだ、と言う。僕は彼らに、「読んだものを信じてしまわないで」と言うんだ。 ──あなたが反論しないから、こういった噂が持続するのでは? Michael: ノー。僕は過去にすごくたくさん反論してきた。僕は史上最もよく視聴されたテレビインタビューをオプラ・ウィンフレーとやっている(1993年)。でも、(メディアは)人の言ったことを捻じ曲げてジャッジしたがるものさ。僕は音楽とアートをやり続けたい。僕はお気に入りの歴史上の人物たちのことを考えるよ。もしも僕が、ウォルト・ディズニーやミケランジェロと対面できたら、プライベートの生活で彼らが何をやるかなんて僕は気にするかな?僕は彼らのアートについて知りたいんだ。僕はファンなんだ。 ──どうやって、非難によって傷つけられることから自身の身を守る? Michael: 予想して、これから起こることを知り、揺るぎなくあること、そうあるべきと僕が常に教わってきたようにあること。鉄の拳を持って強く立つ、どんな状況であろうともね。 ──あなたのことを「自称」キング・オブ・ポップ、と呼ぶ批判もあります。あなたがその呼び名を選んだの? Michael: 僕は自分のことを何と自称したこともけっしてないよ。もし今僕がエリザベス・テイラーを電話で呼び出したら、彼女がその言葉を作ったことを君に話してくれるだろうね。彼女は僕を紹介してくれて、アメリカン・ミュージック・アワードだと思うけど、彼女は彼女の言葉でこう言ったんだ──台本じゃなくてね──「私は個人的なファンです、私の意見では、彼はポップ、ロック、ソウルのキングです」。それからプレスが「キング・オブ・ポップ」と言い始めて、ファンも言い始めた。そんな「自称」のゴミ話、誰がそんなこと言ったのかわからないな。 Part.2 に続く ![]() |
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