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| | 【2025/01/16 11:19 】 TOP▲
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Part.3 からの続き Part.4 「僕は言ったんだ、僕は彼らに無視されるのはお断りなんだ、とね──『スリラー』を生み出したものは、その時の、まさに落胆と痛みだった。」
Rev. Jackson interviews Michael Jackson part.4(インタビュー音声、MP3) Michael: ──それは僕にとって重要なポイントだったんだ、なぜなら、僕はちょうど映画『ウィズ』があって、僕は自分自身をもっと表現したかったんだ、作曲家として、アーティストとして、自分自身の音楽を書いて、音楽をやりたかった、すべてを作り上げたかったんだ。で、クインシー・ジョーンズ、僕は彼がずっと好きで──僕は幸運で、彼と一緒に仕事したんだ、僕はこの人が大好きだ、彼はとても才能豊かだ。僕はこの時、『Don’t Stop Til You Get Enough』とかね、『Shake Your Body to The Ground』、『Billie Jean』、『Beat It』、これらの曲を書いていた。これらの曲はすべて、この時に書かれたんだ。それで、僕はまさに、アーティストとして自分がやりたいことを精神的ゴールとしていたんだ。僕にとって最高の時だった、アルバム『Off The Wall』でグラミーを獲得した時期は。でも、僕はハッピーじゃなかったんだ。僕はそれよりももっと、やりたかったからね・・・僕はそれの受け入れられ方に満足じゃなかったんだ、それは大大成功だったにもかかわらずね。それは当時のソロ・アーティストの最大セールスのアルバムになったし、1000万枚を超えたし、それから、あぁ、黒人のソロ・アーティストとしてね。で、僕は次のアルバムにはこう言ったんだ、僕は彼らに無視されるのはお断りなんだ、とね。で、その時、僕はアルバム『スリラー』の作曲に望みをかけた、僕は本当に言ったんだ、僕は・・・ >> 続きを読む >>
Rev. Jackson: 何が、何が『スリラー』を生じさせたのかな?
Michael: 失礼? Rev. Jackson: 何が『スリラー』を生じさせたのかな? Michael: 『スリラー』を生み出したものは、その時の、まさに落胆と痛み──僕はエンシノという地域に住んでいたんだけど、落書きで「ディスコ最低」とか、ディスコがどうだ、ディスコがこうだ、と書かれているのを目にしたものさ。当時ディスコは、人々を躍らせてくれるただハッピーなものだったんだけど、すごくポピュラーだったから、うーん、社会はそれに反対するようになってきたんだ。僕は言った、僕はこれからすごいアルバムを作る。僕はチャイコフスキーのアルバム『くるみ割り人形』が大好きだから。それはどの曲もすべてグレイトな曲のアルバムなんだ。僕はどの曲をとってもヒット・レコードのようなアルバムをやりたいと言った、それがまさにヒット作『スリラー』を生み出して・・・僕はあのアルバムを作って、それが歴史を作った、ギネス・ブックがそれを史上最大セールスのアルバムに認定したし、いまだにそうなんだ。で、僕はそれが頂点だと言ったし、それは──僕はある程度の絶頂に到達したし、そう思ったけれど、それでもなお、その後も喜んでいなかったんだ。僕は常に、もっと、もっと、やりたいと思っていて、それから・・・ Rev. Jackson: そして君は・・・ Michael: ・・・『ヴィクトリー・ツアー』がやって来た。 Rev. Jackson: 君は手を差し伸べた、これは『ヴィクトリー・ツアー』に行く前だけれど、死に直面している人々の大変な危機があって、君はその名声を用いてアーティストを集め、『We Are The World』を作った。 Michael: イエス。 Rev. Jackson: それはどんなふうだったの? Michael: 『We Are The World』はグレイトなプロジェクトだった。なぜなら・・・クインシー・ジョーンズが僕に電話してきて、僕に曲を書くよう頼んだんだ、アフリカで進んでいた荒廃のためのね。エチオピアはとてもひどくやられていたんだ、で、そこの人々への僕の愛を彼は知っていたんだ、なぜなら僕はいつもアフリカに行っていたからね。僕はその文化が大好きで、その人々が大好き、彼らが体現するものが大好きなんだ。それで、僕は、この曲をまとめるんだけど、彼は、ライオネル・リッチーに君の助けになってもらおう、と言った。それで、ライオネルがやって来て、僕たちはスタートしたんだ、ほら、アイデアを出し合ったり。僕たちは多くの時間、話をしていたんだ、僕たちはホントに良い時代を追いかけたからね、なぜなら僕はライオネル・リッチーを何年も何年もずっと知っていたから。それで、ライオネルと僕は、色々と一緒にやったんだけど、僕はそれに完全には満足じゃなかったから、その後で、僕は自分でスタジオに入って、それをほとんど仕上げて、完成させて、ひとまとめにして、全部の音楽をやって、すべてをまとめ上げて、提出した。クインシーはそれにとても感銘を受けて、彼は、これぞまさに私たちがこれからやろうとする曲だ、と言った。そして僕たちは曲を出して、それは史上最大セールスのシングル曲になったし、たくさんのお金を集めた。それは『USA For Africa』といって、僕たちは、その問題に対する世間の認識を高めたんだ。アフリカ救済のためで、素晴らしいことだった。僕たちは一定割合をアメリカに、そして大部分をアフリカに行くように配分した。グレイトな、グレイトなことだったよ。 (CMブレイク) Part.5 に続く |
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