忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 拍手する
| | 【2024/04/26 05:24 】 TOP▲
2001年、TV GUIDE インタビュー。Part.1
雑誌『TV Guide』、2001年。  雑誌『TV Guide』インタビュー、2001年。

2001年11月10-16日号の『TV GUIDE』誌に登場したマイケル。この号は特別に表紙が2種類の「コレクターズ・カバー」。この年の9月7日・10日に行われたMSGでの30THアニバーサリー・コンサートのテレビでの放送に合わせての号となっています。インタビューは、その30THアニバーサリー特番の話題からスタート。また、9・11や世界の平和、子どもたち(このインタビュー中も、周りでちょろちょろしてる)、「こり○星」よりもっとスゴイ星の話などなど・・・

2001年、30THアニバーサリー・コンサート、マイケル・ジャクソンPart.1


TV GUIDE: このテレビ特番はあなたの長年のキャリアを祝うものです。はじめてステージに立った時のことを覚えてる?

Michael: 僕は5歳だった。公立学校のリサイタルで、僕たちは白いシャツと短パンを着なくちゃいけなくてね。で、彼らがこう言ってるのを覚えてるよ、「お次は、小さなマイケル・ジャクソンくんが『Climb Every Mountain(=『すべての山に登れ』、サウンド・オブ・ミュージックより)』を歌います」。僕は一番大きな拍手喝采をもらったよ。僕が自分の席に行くと、僕の祖母と母は泣いていた。「信じられない、あなたの声はなんて美しいんでしょう」と言ってね。それが僕が覚えている最初のものだね。

TV GUIDE: あなたがテレビ特番をやるというのは珍しいですよね。
続きを読む
 >> 続きを読む >>



Michael: 僕はテレビに出るのが好きじゃないから、今までたくさんの出演依頼を断ってきたんだ。きまり悪くなるんだ。僕はパフォーマンスするけど、1年か2年ほど経たないとそれを見る気にならない、なぜなら、僕はいつだって、自分のやった事に対して何かしらガッカリしてるから。

TV GUIDE: 今回の特番のために収録されたコンサートは、大スターたちでいっぱいでした。ガッカリなんてできなかったでしょう。

Michael: (2日目の)ショーは良かった。(1日目のショーは)ひどかったよ、なぜかというと、技術面で、たくさんの故障があってそれぞれの曲の間に中断があったから。とても難しかった。観客はひたすら待たされていたんだ。

TV GUIDE: ステージで踊っている時、どんなふうに感じるものですか?

Michael: 僕はリズムの奴隷なんだ。僕はパレットさ。僕はただ、その瞬間に身を任せる。それはそういうふうにやらなきゃいけないんだ、なぜなら、もし頭で考えてしまったら、終了だからね。パフォームすることは、頭で考えるのとは違う; 感じることなんだ。

TV GUIDE: ダンス・ステップは計画するの?

Michael: 兄弟たちとのいくつかのステップは決まってる。でも僕一人になったら、すべて即興だよ。何も決まってない、一つもね。今のダンス・スクールはみな、キッズたちにカウントするよう教えるけれど、それは完全に間違いだよ。

TV GUIDE: イン・シンクのような最近のポップ・グループについてはどう思う?彼らはあなたを真似ているのでしょうか?


Michael: 彼らはすごく良いシンガーたちだと思う。僕は彼らをよく知っていて、時々僕たちは遊びに行くし、笑ったり演奏したり。彼らが(僕を)真似ていることはまったく問題ないよ。それは賛辞なんだ。誰でもはじめは誰かのことを見習いながらスタートせねばならない。僕にとってはそれはジェームズ・ブラウンであり、サミー・ディヴィス・ジュニア、ジャッキー・ウィルソン、フレッド・アステア、ジーン・ケリーだったんだ。

TV GUIDE: 特番では、マーロン・ブランドの登場が目玉ですね。彼はどういったいきさつで参加を?

Michael: ブランドは僕の良い友達なんだ。僕は彼とは20年くらい付き合いがある。彼はいつも僕の家にやって来るのさ。彼は子どもたちと一緒に遊ぶのが好きなんだ。僕は彼の孫の子どもたちと一緒に遊ぶし、それに僕たちは映画を観るのが好きだね。

TV GUIDE: 一緒に過ごすのは他には誰?

Michael: エリザベス(・テイラー)、ブランド、グレゴリー・ペック、彼らは僕の親友だよ。僕よりもずっと年上か、あるいはずっと年下かのどちらかだね。僕は自分と同じ年頃の人とはちゃんと付き合ったことが全然ないんだ。僕が思うに、こうなっちゃったのは、僕は人生ずっと、クラブでプレイしたからなんだよ、5歳の頃からね。僕は人々が酔っ払ってケンカしたりするのを目にして、すごく嫌だった。だから今日の僕に人々が「ヘイ、クラブに行こうよ」と言っても、僕は「絶対いや」となる。もし行ったとしても、僕にとってはパーティじゃないよね──サインや写真が多過ぎだよ。

Part.2 に続く 
 拍手する
| 発言、インタビュー/テキスト | コメント(0) | トラックバック() | 【2001/11/10 16:13 】 TOP▲
『Shout』 (2001年シングル、『Cry』カップリング)ホーム2001年、TV GUIDE インタビュー。Part.2
コメント

コメントの投稿









上の入力事項はすべて公開されます。公開したくない場合は空欄のまま送信して下さい。
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字





コメントありがとうございます。あなた自身の言葉を歓迎します。人から聞いた話や、自分の意見でない場合のコメントには、今一度、あなた自身が責任を持てるかどうか考えてみて下さい。根拠なきあやふやな情報や、関連のない宣伝等の書き込みは削除される場合があります。非公開でコメントを送りたい場合は、メールはコチラからメールフォームからどうぞ。

トラックバック
トラックバックURL : 
前ページホーム次ページ