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| | 【2025/04/30 04:01 】 TOP▲
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Part.2 からの続き Part.3 「マイケル、ムーンウォークはどこから来たの?」
![]() Rev. Jackson: こういう驚きの成長を経て、君は史上最大のレコード売り上げのアーティストとなった。我々が「グラウンド・ゼロ」と呼ぶ期間から、作曲における君の成熟期までを振り返ってみる。作曲を学ぶ上で、君に一番大きな影響を与えたのは誰?君はすごく良く作曲するね。 |
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Part.3 からの続き Part.4 「僕は言ったんだ、僕は彼らに無視されるのはお断りなんだ、とね──『スリラー』を生み出したものは、その時の、まさに落胆と痛みだった。」
![]() Michael: ──それは僕にとって重要なポイントだったんだ、なぜなら、僕はちょうど映画『ウィズ』があって、僕は自分自身をもっと表現したかったんだ、作曲家として、アーティストとして、自分自身の音楽を書いて、音楽をやりたかった、すべてを作り上げたかったんだ。で、クインシー・ジョーンズ、僕は彼がずっと好きで──僕は幸運で、彼と一緒に仕事したんだ、僕はこの人が大好きだ、彼はとても才能豊かだ。僕はこの時、『Don’t Stop Til You Get Enough』とかね、『Shake Your Body to The Ground』、『Billie Jean』、『Beat It』、これらの曲を書いていた。これらの曲はすべて、この時に書かれたんだ。それで、僕はまさに、アーティストとして自分がやりたいことを精神的ゴールとしていたんだ。僕にとって最高の時だった、アルバム『Off The Wall』でグラミーを獲得した時期は。でも、僕はハッピーじゃなかったんだ。僕はそれよりももっと、やりたかったからね・・・僕はそれの受け入れられ方に満足じゃなかったんだ、それは大大成功だったにもかかわらずね。それは当時のソロ・アーティストの最大セールスのアルバムになったし、1000万枚を超えたし、それから、あぁ、黒人のソロ・アーティストとしてね。で、僕は次のアルバムにはこう言ったんだ、僕は彼らに無視されるのはお断りなんだ、とね。で、その時、僕はアルバム『スリラー』の作曲に望みをかけた、僕は本当に言ったんだ、僕は・・・ |
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Part.4 からの続き Part.5 「僕は自分が完全にイノセントだということを知っている。とても痛ましいことだ。でもこれは、この国の黒人の偉人たちのパターンのようなものなんだ。」
![]() Rev. Jackson: 今日のスペシャル・ゲスト、マイケル・ジャクソンとお送りしています。全米中、全世界中のたくさんの人が聞いています。マイケルとのファミリー・トークというか、私は彼が7歳くらいの時から彼を知っています、でも家族全体は、ある時点で、彼の父親、ステーション・ワゴンに引越しトラックを運転してきて、我々のオフィスの側に連中を連れて来て、エキスポでウォーム・アップ・アクト(=前座)をやらせてくれないかと頼んだ。当然、彼らはウォーム・アップだったんだが、実は、彼らは(温めるどころか)火をつけてしまった、で、エキスポは二度と再び同じではなくなった。率直に、マイケル、記録映画『Save the Children』をやった時、あれも大きなヒットだったね。 |
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