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| | 【2024/04/19 15:38 】 TOP▲
雑誌『EBONY』、1984年12月号。Part.2
Part.1 からの続き Part.2


26年前(1958年8月29日)、インディアナ州ゲイリーで、ジョセフとキャサリンの6人の才能ある息子たちの5番目として生まれた彼は、プジティヴ思考の人間であり、すべての人類に対する深い気遣いと、プロとしての自分の仕事への断固とした愛により動機づけられた、創造的なアーティストだ。彼をすっかり慕うようになったファンたちへの、彼の愛は、ひょっとしたら、比べるものがないほどだ。

jacksons, ヴィクトリー・ツアー
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彼のキャリアのなかでも最もプレッシャーに満ちたコンサート・ツアーの一つに、彼を持ち堪えさせたものは、愛だ。ジャクソンズのヴィクトリー・ツアーは7000万ドルを超える総収益を上げると見込まれているが、彼は金銭への愛のためにはパフォームしなかったのである。彼が言うには、彼は家族やファン、お気に入りのチャリティのために、それをやったのだ。 ボクシングの興行主ドン・キングとともにツアーを組織した彼の両親には、それぞれ500万ドル、そして兄弟たちにはそれぞれ約750万ドルずつポケットに得られるようにツアーは計画されたのであるが、マイケルは、コンサート収益の自分の取り分は、3つの意義ある使い道に送られるだろうと発表。それらは、「United Negro College Fund (UNCF)」(黒人学生のための奨学金団体)、 病気の末期段階の子どもたちのための「Camp Good Times」、そして、「T.J. Martell Foundation for Leukemia and Cancer research」(白血病、ガン研究のための基金)だ。

彼はまた、スペシャル・アルバム『Let's Beat It』からの収益もチャリティに寄付している。子どもたちが彼をインスパイアし、彼にヒット・シングル『ビート・イット』を書かせた、だから彼はそう(寄付)しているのだと彼は言う、
「子どもたちは、僕がやることどれの中でも、最大のインスピレーションなんだ」と、マイケルはこの筆者に言った。「僕は子どもたちが大好き──彼らに夢中。僕は自分が買うだろうな、というロックなタイプの曲が書きたかったんだ・・・僕はそれをキッズに本当に楽しんで欲しかった、学校へ行ってる年頃のキッズたち、大学生たちと同じようにね」、お気に入りの2つの曲はチャイコフスキーの『くるみ割り人形』と、『ピーターと狼』だというその繊細なソングライターは、そう言った。

彼は兄のマーロンから少し助けを得て書き上げた曲、『Be Not Always』の話をした。ジャクソンズのアルバム『Victory』に録音されたその繊細でセンチメンタルな曲に中に、マイケルは涙を誘う願いを込める、世界──『mothers cry, babies die helplessly in arms...(母親たちは泣き、赤ちゃんたちが死んでいく、腕の中で無力に・・・)』──そんな世界を変えよう、と。彼は、兄弟たち全員が、子どもたちについて自分と同じように感じていると観測した、「僕だけじゃなくてね」。

今は亡きスーパースター、ジョセフィン・ベーカー──彼が敬愛するエンターテイナー──が、養子にした子どもたちの「国連」を作ったことを思い出しながら、マイケルは大きく微笑んで、自信を持って言った:
(ミラ注・・・人種差別と戦ったジョセフィンは、さまざまな人種の多くの養子を育てたことでも知られる。)

「僕は自分自身の子どもたちも持つつもりだけど、可能な限りたくさんの人種の養子も迎えるつもりだよ。それが僕がやろうとしてることなんだ。子どもが大好き。エマニュエル・ルイス(TVの『ウェブスター』シリーズの、小さな、12歳のスター)とかね、彼は真のインスピレーションだよ」。

しかしながら、家族とファン以上に、その誇りを持ったパフォーマーをインスパイアするものはない。彼はLP『スリラー』の成功や、『EBONY』のアメリカン・ブラック・アチーヴメント・アワードを含む音楽賞の数々によって甘やかされていい気になっている、という記事を、新聞が広めてから少し後に、彼はこのことについて話した。

「(アルバム)『オフ・ザ・ウォール』でたくさんの記録達成をやったからといって、あるいは僕が一番長くリード・シンガーをやってきたから、あるいは今度は『スリラー』、それが史上最高だからどうだとか、だからといって僕は脱退するつもりはないよ」、ツアーの後、彼がジャクソンズを去る予定だという噂について、彼は言った。「彼らは僕のブラザーたち(ジャッキー、ジャーメイン、ティト、マーロン、ランディ)で、僕は心から彼らを愛してる。思うんだけど、メディアは部数を売るためのものを探し始めて、ネタをでっち上げたり、ねじ曲げたりするんだよ」。

jacksons

マイケルはそのツアーのはじめにこう言った、「ツアーする喜びと、家族が一体となる喜びのために、そしてレコードを買ってくれたキッズたちのために、僕はやっているんだ。僕はステージ中毒さ。僕はステージの上にいなきゃならないのさ」。

カリフォルニアの彼の家、彼はそこで今も両親や姉のラトーヤと暮らしているのだが、そこでのインタビュー中、マイケルはこうも言った、「このことを、引用符でくくって(強調して)ほしいと思うんだけど: “ 僕がやっていることに対する僕のメインの愛は、慕ってくれる人たち。僕はファンを愛してる。例えば、僕がショーをやっている時、僕はそこでファンたちが踊ったり叫んだり、大興奮なのを目にする、僕たちが彼らに喜びをもたらしてる、僕が一番大好きなのはそれなんだ。ただ世界一、グレイトな気持ちさ。そこに上がって、みんなにあのエナジーとあの愛を与えてる、するとみんなもそれをちゃんと投げ返してくれるんだ。それが僕のメインの愛さ、ステージと、そうやって好きでいてくれる人たちをハッピーにすることがね。 ”

インタビューが進むにつれ、マイケルは多くの話題について話し、それは、メディアの噂ラッシュの中では見落とされてきた彼に関する事実を明かすものだ。彼の考えのいくつかは、こうだ: ・・・

Part.3 に続く 
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| 発言、インタビュー/テキスト | コメント(0) | トラックバック() | 【1984/12/01 04:10 】 TOP▲
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